新渡戸「武士道」への注目
「腐敗や経済独占ない」対日観
日本の「安保法制」が成立してから、あれほど喧しかった韓国の非難の声がやんでしまった。というよりも飽きっぽい韓国メディアが取り上げなくなったのだ。だからと言って、韓国人の間にある根深い警戒感が解けたわけではない。何かのきっかけさえあれば、また吹き出してくる。
韓国人が日本を警戒する根底には、日本が武士の国だったことがある。朝鮮は「両班(ヤンバン)」と呼ばれる身分制度の頂点に立つ貴族・文官が支配層を形成していた。「両」とは「文班」と「武班」の両方を指すが、もっぱら文官をいう言葉だ。武官も科挙を通して登用されるものの、ずっと地位が低かった。
それに対して、日本は鎌倉以来、武士が政府を構成してきた。彼らから見れば、地位の低い“武士ごとき”が政治を行っていたのだ。卑しみ蔑んでみてきた。その侮りが豊臣秀吉の朝鮮出兵、王政復古されたとはいえ実態は薩摩長州の武家政権の明治日本から散々な目に遭わされることになった。
今では「戦争ができる国」になった日本がより脅威に映っている。だが、ただ恐れているだけでは「歴史から学ばない愚かな国」になってしまう。前轍を踏まないためにも、武士の国日本を理解しなければならない。
そう考えたのが“日本通”の論客として知られる劉敏鎬(ユミノ)パシフィック21所長である。劉氏は韓国の延世大を卒業した後、松下政経塾(15期)で学び、韓国の報道記者を経て、現在米ワシントンで企画会社を運営する“知日派”である。月刊中央(12月号)に「武士道から見た日本の昨日今日そして明日」の原稿を書いている。
劉氏はまず小林正樹監督の「切腹」(1962年)を紹介した。ここで長々と映画の筋や切腹の作法を説明しているのは、韓国人にとって切腹は単に「武士が行う野蛮な自殺の方法」程度の認識しかないからである。だからといって劉氏は「侍の名誉と尊厳」を守るものであることを韓国人に紹介するためにこの記事を書いたわけではない。本当の狙いは別のところにあった。
劉氏は「切腹」で示された「武士道」に視点を向けたのだ。そして、1900年米国で出版された新渡戸稲造の「武士道」に光を当てる。同書が日本語から翻訳されたものでなく、最初から英語で記述され、米国人はじめ西洋人に日本を紹介するために書かれた事実に驚きを隠さない。同書は、後にルーズベルト米大統領をはじめとする欧米人の日本人理解を助けた「日本理解の基本書」となった。
。
翻って同じ時期、朝鮮を世界に紹介する著作があっただろうかと劉氏は顧みる。1941年に李承晩(イスンマン)元大統領が「私の日本観」(Japan Inside Out)を出したのが最初だったものの、残念なことに「韓国を説明する本でなく、日本の好戦性を知らせる本」だった。「文(学問)の国と誇るが自国を外国に知らせようとする努力は後れを取っていた」と劉氏は嘆く。
次いで劉氏が評価したのは、「洋の東西を行き来しながら比較分析した立体的次元の文化人類学観点で書かれた本」という点だ。クエーカー教徒として西洋を理解し、農学者として科学的観点で物事を見る「博学な知識と知恵に基づいた、いわゆるリベラルアーツ観点に立った著書だった」ことだ。
その「武士道」がいままた注目され出した。「日本の過去、現在そして未来の羅針盤に該当する」からだと劉氏は述べる。それは「戦争ができる国」になったことではなく、日本が武士道によって、他国に比べて「不正腐敗や上位層の経済独占がほとんどない国」「清貧の世界観」を持つ国であることに注目すべきだと主張しているのだ。
「相対的に安心できる点は、武士道に立った侍、すなわち日本支配層の道徳的・倫理的清潔性にある」と評価する。「武道はあっても武士道はない韓国社会」への警鐘でもあるが、劉氏の記事を理解できる韓国読者がどれくらいいるだろうか。
編集委員 岩崎 哲





