教科書よりひどい「指導書」の歴史歪曲―韓国

建国否定する社会主義礼賛

 韓国で韓国史教科書の国定化をめぐって相変わらず論争が続いている。大規模な街頭デモも起こり、政府への抵抗が強い。こうした国民の強い反発が予想される中で、政府があえて国史教科書の国定化に踏み切った背景には、看過できないほどの「歴史歪曲」「偏向」が横行している実状があったからだ。

 そんな中でさらに、教科書そのものよりも教師が使う「指導書」の偏向ぶりが問題になってきている。月刊朝鮮(12月号)で裴振栄(ペジンヨン)記者が、「国史教科書よりさらに深刻な教師用指導書」の記事でこれを紹介している。

 韓国では教科書は国定の他に教科によって検定・認定制がとられている。いずれにせよ、政府のチェックを受けるようになっている。しかし、教師が授業で利用する指導書は検認定の対象外。したがって、国定になろうが検認定であろうが政府の管轄外にある。

 指導書は主に教科書出版社が「サービス次元で発行する場合が多い」(同誌)という。とはいえ、実際に教師の授業内容に影響を与えるものだから、教科書自体よりも指導書の内容をこそチェックすべきだが、それが政府の目の外にあるわけだ。

 中身を見ると、「階級意識を唆(そそのか)す」内容が多い。同誌は「李承晩(イスンマン)(初代大統領)に対する否定的反応を誘導」する一方で、「日帝下の社会主義独立運動に対しては、数えられないほど豊富な事例を引用して、積極的に紹介している」と指摘する。

 日本統治時代の社会現象の中で、「数えられないほど豊富な(社会主義独立運動の)事例」があったとするには、いささかバランスを欠いてはいないか。「日帝」の統治はそれほど甘いものではなく、治安は保たれていたはずだ。仮に社会主義独立運動が頻繁に各所で行われたとして、それでも日帝統治がびくともしなかったというのは、逆に運動が取るに足らない小規模なものだったことを自ら認めるようなものだ。さらには運動がそれほど起こっていたのか、という「事実」に対する疑念まで呼び起こすことになる。

 こうした色眼鏡をかけて物事を見ると、彼らの“輝かしい歴史”も願わぬ別の様相を呈することになる。これまで「三・一運動」は「非暴力平和運動」だったことを誇っていたはずだが、「暴力闘争、階級闘争的側面を強調」することで「非暴力平和運動」とは違うものになってしまった。

 こうした歪曲(わいきょく)、一方的な視点の刷りこみは「建国」の経緯にもっともよく表れている。同誌元編集長で現在はネットメディア「趙甲済(チョカプジェ)ドットコム」を主宰している趙甲済氏が同誌に「南北韓歴史教科書の『歴史捏造』協力」の記事を書いた。

 1948年、南北総選挙は国連の入ることを拒否した北地域では行われず、やむなく5月に南だけで行い、国会で李承晩大統領を選出することになる。教科書ではこれを「大韓民国政府樹立」と記述している。これに対して、北朝鮮は別途「人口比に比例した南北総選挙」を実施し、9月に「朝鮮民主主義人民共和国樹立を宣言」した。

 両者の違いは何か。南側は「政府樹立」だが、北側は「国家樹立」と格が上なのだ。南の知識人が「国家正統性」で北にコンプレックスを抱く根っこがここにある。これを生徒たちに刷りこみ、自らの政府の「正統性」に疑念を抱かせ、北の方が正統な手続きで作られた国家であると教えているのである。

 李承晩大統領は国造りに「日帝に協力した地主、資本家層」や「朝鮮総督府の元官吏」を用いた。国家形成を急いでいたため、ノウハウを持ち力のあるものを使わざるを得なかったのだ。しかし、「階級史観」から見れば、「親日派」が国造りの主勢力になって造られた「大韓民国建国」に「正統性」があるわけがない、というわけだ。

 ここに紹介した事例はほんの一部だ。「漢江の奇跡」を産み「反共の防波堤」として自由世界を護った朴正煕元(パクチョンヒ)大統領の功績も軍事政権ということで否定的に取り上げられる。単に娘の朴槿恵(パククネ)大統領が父親の功績を守るという次元で国定化を強行させたわけではない。韓国の「出自」を揺さぶる「左派勢力」の歴史歪曲に対する措置であることを理解する必要がある。

 編集委員 岩崎 哲