韓国憲法裁の「慰安婦」判断-「月刊朝鮮」より

背景に法曹界の左傾化/日韓基本条約の見直し要求も

 日韓対立の焦点となった「慰安婦」が問題化したのは韓国憲法裁判所の判断が切っ掛けだった。2011年8月、憲法裁は「韓国政府が慰安婦問題を放置しているのは違憲行為だ」との決定を出したのだ。

 この問題は1965年の日韓基本条約で解決済みである。また当時日本から韓国側に支払われた「5億㌦援助」と「請求権の放棄」によって、「強制徴用」問題も含め、韓国政府自体が解決すべき「国内問題」だったはずだ。

 だが、李明博大統領は憲法裁の判断に縛られることになる。同年12月に京都で行われた日韓首脳会談で、李大統領は野田首相に「慰安婦問題を解決せよ」と迫ったのだ。野田首相にしてみれば、いかにも「唐突」だった。面食らったといっていいだろう。李氏は就任前から「これ以上、日本に謝罪や反省は求めない」としていたからだ。

 8月に憲法裁決定が出ているのだから、韓国側からこの手の要求が出てくることはある程度予想しておくべきだった。外務省の分析力が弱いのか、職務怠慢かのいずれかだと批判されても仕方がない。それ以上に韓国の出方が異例だったのか。

 憲法裁に「違憲行為」と詰め寄られた韓国政府は、そのツケを日本に回した。あまりにも安易で無責任であるが、李政権にそうさせた憲法裁とはいったい何なのかを見ておく必要がある。

 朝鮮日報社が出す総合月刊誌「月刊朝鮮」(11月号)に、「ウリ法研究所、事実上瓦解したのに…」の記事が載っている。この「ウリ法研究所」とは、韓国法曹界の「左派指向勢力の核心」であり、大法院(最高裁に相当)院長、法務長官、大法院秘書室長など、司法の枢要ポストを押さえて、司法を牛耳っていたグループだ。

 彼らの大部分は1980年代の大学で「運動圏」と呼ばれた左派学生運動に関与していた。そのまま運動を続けて、大学自治会を乗っ取る者、また勉学を続けて司法、教育、労働、企業、はては政界にまで進出し浸透していく者に分かれ、韓国社会の中枢を占拠している勢力である。

 かつて「反共国家」と言われた韓国では、1998年の金大中(キムデジュン)政権誕生から、盧武鉉(ノムヒョン)政権が終わる2008年までの「左派政権10年間」に左派勢力を締め付けていたタガが外され、そして彼らは社会の各層に浸透していった。

 その結果、政府や司法で「独裁政権時代の公安事件」見直しが行われた。これは過去に遡(さかのぼ)って公安機関や軍による「不審死事件」や「不当逮捕・投獄」の見直しをして「名誉回復」を行うものだ。いわば「左派による歴史の書き直し」である。

 そして、「最近出ているおかしな判決は、主に部長判事クラスから出ている」として、彼らが80年代、大学で「意識化」つまり左派運動の影響を強く受けて来た世代、「従北勢力」であるというわけだ。

 「慰安婦」問題も、朴正煕(パクチョンヒ)政府が日本と結んだ基本条約から「漏れた」未解決事例をやりなおすという次元で憲法裁判事が決定を下し、政府の尻を叩いたもので、直接日本批判を狙ったものではないが、結果として、日韓関係は大きくこじれていくことになった。

 韓国論壇の中には、「日韓が対立して利益を得る者は誰か」と冷静な呼び掛けをする者もいるが、その声は小さく、かき消されている。

 だが、ここにきて「ウリ法研究会」が「瓦解」しているという。入会する者が減り、会員がいなくなってきたからだと同誌は指摘する。今の大学に「運動圏」学生はほとんどいなくなった。激しい受験戦争を勝ち抜くには「親の財力」が必要で、その層の子弟は左派運動に関心を示さなくなっているからだと分析する。

 ならば、現在の韓国法曹界には左派がいなくなったのだろうか。同誌の答えは否だ。「ウリ法研究会出身者だけが特別ではなく、司法府の左傾化が深刻だ」というのである。つまり部長判事クラスを中心に、まだまだ法曹界全体が「左傾化」しており、彼らが退任していかない限り、当面この傾向が続くのである。

 それは結局「日韓基本条約の見直し」や「日韓併合条約の見直し」が持ち出される可能性もあるということを意味している。

 編集委員 岩崎 哲