映画「1987」の虚構場面、当時の学生も批判

全斗煥軍事政権に抗する“民主化運動”を主観的に再解釈

 ソウル五輪を翌年に控えた1987年の韓国では全斗煥(チョンドゥファン)軍事政権に抗する“民主化運動”が繰り広げられていた。1月にソウル大生の朴鍾哲(パクジョンチョル)が治安当局の拷問により死亡したことがきっかけだった。

 6月には延世(ヨンセ)大正門前で戦闘警察(機動隊)と学生デモ隊が対峙(たいじ)、戦警が撃った催涙弾の破片を頭部に受け、同大生の李韓烈(イハニョル)が死亡。学生運動が激化し、軍事政権は追い詰められていった。

 全斗煥の盟友、盧泰愚(ノテウ)が6月29日「民主化宣言」を出すことによって事態の収拾を図った。軍服を脱いで与党民主正義党の議員になっていた盧泰愚が次の大統領候補になっていく。

 この時代を描いた映画が「1987」(邦題「1987、ある闘いの真実」)である。2017年に公開され、700万人以上の観客を動員した。30年以上前の出来事だが、韓国現代史の転換点になった事件である。

 文在寅(ムンジェイン)政権になって、こうした“民主化”の歴史に光を当てる映画が製作されだした。1980年の光州事件を題材にした「タクシー運転士」(邦題「タクシー運転手 約束は海を越えて」)もその一つだ。左派政権によって、過去の軍事政権下で起きた事件の見直しが行われている流れに沿ったものだ。そして6月騒動は「6・10民主抗争」に、光州事件は「5・18民主化運動」と呼び変えられ、事件の概念自体が左派史観に則(のっと)ったものに再解釈されている。

 だが、この“都合のいい”書き換えに保守陣営からは当然、疑義が出される。さらに同じ側にいた人間からも批判が出てくると、映画を見る目も変わってくる。87年当時、ソウル大人文学生会長だった数学教育研究所長ミン・ギョンウが、月刊誌新東亜(9月号)に「主観的再解釈」を寄せている。

 彼は映画を「フィクション」と言い切る。朴鍾哲を責めた治安当局の「対共捜査所長」を「“アカ清算”に特別な使命感と信念を持った悪の化身」に描いていることを訝(いぶか)しむ。ミンは「公安の拷問と非人間的行為の肩を持とうとするのではない」と断りながら、映画は「事実を正直に追跡するのなら、民主化運動の相手方である全斗煥と公安機関もありのままに追求すべきだ」と言う。

 急進理念の学生運動が大学を掌握していく中で、「公安機関が主体思想とレーニン主義を信奉する学生たちを司法処理したことは必然的なものだった」。当時の大学街が相当に行き過ぎていたのだ。

 そうした状況からすれば、監督が演出したものと時代の「真実」は一致していないということだ。感動的に描かれた大ヒット映画もエンターテインメントなのである。

 編集委員 岩崎 哲