「86世代」断罪する30代 正邪二分法で怨念解消
弱者を代弁する“聖者”と自任
さすがに韓国文在寅政権の左翼っぷりに業を煮やしたのか、政権を担う「86世代」(50代)への怒りを爆発させる声がメディアに登場した。東亜日報が出す総合月刊誌新東亜(12月号)が「総力特集、左派知識人、執権左派を語る」がそれだ。この中の「30代元民主労働党員がみた執権86世代」に注目してみる。
まず「86世代」を説明しておこう。以前は「386世代」と呼ばれたが、これは「1990年代に、年齢30代で80年代に民主化運動をした60年代生まれ」を括(くく)った呼び名で、日本の「団塊の世代」あるいは「全共闘世代」をイメージすれば、それに近い。既にあれから20年経(た)ち、現在は50代となったため「3」を省いて単に「86世代」というようになっている。政財官の各界はじめ、司法、教育、労働など社会のあらゆる層で主流となっている。今の韓国の空気をつくって引っ張っている世代だ。
日本でも全共闘世代、団塊の世代を下の世代は「ウザイ」といって敬遠するが、韓国でも同じような現象が出ていることが興味深い。
記事を寄せたナ・ヨンジュン氏は「元民主労働党員」だ。この党は“戦闘的労働運動”で知られる「全国民主労働組合総連盟」(民主労総)を支持母体とするいわば過激派政党。記事では離党の理由については言及していないが、うんざり感は十分に伝わってくる。言い分を聞いてみる。
まず「私は彼らが韓国社会を滅ぼしていると考える」と述べる。“滅ぼす”とは「ヘル(地獄)朝鮮」と卑下するまでになっている現在の韓国の閉塞(へいそく)状況のことだ。この社会をつくっているのは86世代だとの怨嗟(えんさ)の声と言っていい。
続けて、86世代を「社会の重要懸案を『正』と『邪』だけの観点で認識する。自身を清流、反対派を濁流と扱い、相手を対話と説得ではない攻撃と絶滅の対象とし、絶え間ない政争をつくり出す」と断じている。
なぜそうなったかについて、著者は「彼ら自身が経験した軍事政権と学生運動の“加害・被害関係”を韓国現代史全体に拡大してしまった。親日、独裁、企業は常に加害者で、抗日、民主化、労働は常に被害者という両極端な歴史観の上に自身を被害者として位置付けた」と説明する。
そして既に社会の主流になっているにもかかわらず、「いまだに自らを弱者の代弁者で悪の非理と戦う“聖者”だと思っている」のだという。なるほど厄介な相手だ。単純化してまとめてみれば、全てを善悪の二分法で捉え、自らを弱者・被害者の位置に置き、復讐(ふくしゅう)を正義の実現と思っているということだ。
そう説明されるとなるほどと納得できることが多い。対日観がそうだ。日本統治時代を「全て悪」と断罪する理由がここにある。「悪いことも良いこともあった」という多元的な捉え方はない。だから、統治時代であっても朝鮮半島は一定の経済発展をしたという「植民地経済論」など、到底受け入れられないのだ。たとえ利用価値が大いに残っていても「悪」の残滓(ざんし)は根こそぎ取り払い、新たに「正」を立て直さなければ気が済まないということなのだ。
根底には「『やられた分だけ、やり返そう』という(怨念解消の)世界観がある」と筆者はいう。この論法でいけば、韓国は日本を36年間支配しないことには日本への恨みを解くことはないということになる。「第三世界なみの民族主義レトリック」だと筆者は呆(あき)れている。
それなら、86世代にうんざりしている若い世代自身はどうなのか。これについての分析はない。物事を単純化せず「良いことも悪いことも」あると認識する世代なのか、といえば、そうも思われない。たかだか経済産業省内の規則見直しを「経済報復」と大騒ぎして、国を挙げて日本製不買運動一色で染め上げるのを見れば、世代間に濃淡はあれ、同じく正邪二分法、復讐・怨念解消の世界観は共通していると見えるのだが。
編集委員 岩崎 哲