開かれた教会の“戸惑い”、カトリック特別世界司教会議

同性愛者「歓迎」も容認はせず

 世界に12億人以上の信者を有するローマ・カトリック教会は5日から19日、特別世界司教会議(シノドス)を開催した。191カ国の司教会議議長、専門家たちが2週間、「オープンな雰囲気で話し合われた」テーマは、離婚、再婚者への聖体拝領問題、同性婚、純潔、避妊などだ。特に、離婚・再婚者の聖体拝領問題と同性婚に対する教会の姿勢については、高位聖職者の間で最後まで意見が分かれたという。(ウィーン・小川 敏)

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フランシスコ・ローマ法王=6月8日、バチカン市(AFP=時事)

 離婚・再婚者への聖体拝領を認めるかどうかは、来年10月まで協議を重ねていくことになった。同性愛者問題は、中間報告書の段階では「兄弟姉妹として同性愛者を迎える」という声が強かったが、最終報告書ではそれらのパラグラフは見つからなかった。そのため、欧米メディアは「保守派勢力が巻き返しを図った結果」と分析し、フランシスコ法王が進める教会刷新は後退を余儀なくされたと解説する記事が多く見られた。

 シノドスの報告書のまとめ役だった3人の枢機卿は18日、記者会見を開き「教会は全ての人々に開かれた家だ」と述べた。同性愛者に対しても「教会は彼らを歓迎する」と答えている。ここで注意しなければならない点は「歓迎する」とは、同性愛者を容認することを意味しないことだ。

 再婚・離婚者の聖体拝領の是非問題について教会の答えは明らかだ。イエスが述べたように、神の名で結びつけられた者を分かつことはできない。だから、聖体拝領は神の教えを破った離婚者、再婚者には本来、許されないのだ。

 同性愛者の公認問題でも教会の教えは明らかだ。夫婦は男性と女性の間の婚姻を意味する。同性愛者は神の願いに反しているから、夫婦として認めることはできない。

 それではなぜ、教会はここにきて教義で明確な問題を議論し、その是非を問いかけるのだろうか。その答えも明確だ。欧米社会では2組に1組の夫婦が離婚し、再婚するケースがほとんどだ。欧米では同性婚者を夫婦として公認する国が増えてきている。われわれが生きている21世紀の社会がそのようになりつつあるからだ。

 教会が選んだ解決策は「寛容と慈愛」という魔法の言葉だ。教会の教えでは絶対に受け入れられない問題についても、「寛容と慈愛」で取り組んでいこうというのだ。その先頭を走っているのが南米出身のフランシスコ・ローマ法王だ。法王は「イエスは罪びとをも愛したように、われわれも寛容と慈愛の精神で全ての人々を迎え入れるべきだ」と、新しい宣教時代の到来を告げている。

 ところで「開かれたハウス」にはさまざまな人々が入ってくる。離婚者、再婚者、同性愛者の人々も教会の門を叩く。教会側は「寛容」と「慈愛」で彼らを「兄弟姉妹」として迎え入れていこうと努力する。問題は、教会の教えが変わらない限り、同性愛者、離婚者は教会では二等市民ならぬ「二等信者」の立場を味わわざるを得ないことだ。一方、教会側も新しいゲストを迎え入れ戸惑いを隠せない。すなわち、両者とも幸せな状況とは言い難いわけだ。

 シノドスで展開された議論は、改革派聖職者とそれに抵抗する保守派間の路線の戦いではない。なぜならば、大多数の聖職者は教会の教えを死守する一方、「寛容と慈愛」を取り入れていくべきだと考えているからだ。異なるのは、教会の教えと「寛容と慈愛」間の割合だけだ。司教たちの揺れは、教会の教えを変えず、「寛容と慈愛」を取り入れることがいかに難しい問題かがより一層明らかになったからだろう。