コロナとペスト 不気味な類似

 14世紀、欧州全土を席巻したペストは、「欧州人の約3分の1が亡くなった」と言われるほど大きな犠牲をもたらした。スイスのフリブール大学の歴史学教授、フォルカー・ラインハルト氏(66)によると、ペストは中国から運ばれ、欧州全土に広がっていったという。同じように、中国武漢で発生した新型コロナウイルスは昨年、習近平国家主席が提唱したシルクロード経済圏構想「一帯一路」を経由して欧州のイタリア北部で最初に大感染していった。コロナとペストの間に不気味な類似点がある。
(ウィーン・小川 敏)

シルクロード経由で欧州へ
イタリア北部で最初に感染爆発

 「黒死病」とも呼ばれるペストの大感染が欧州で最初に生じたのは1347年、イタリアのシチリアに停泊していたジェノバのガレー船でだった。船はその前にはウクライナのクリミア半島の黒海沿岸の港湾都市カッファ(現在のフェオドシヤ)に停泊していた。そこはジェノバの貿易業者の拠点だった。「ペストが発生した時、そこに住んでいた異邦人、クリミア・タタール人の仕業だといわれ、シチリアではメッシーナ市民がぺストを運んできたといわれた。人は想定外の悪いことが起きると、その原因を外に探そうとするものだ。欧州ではフランスやドイツでペストの疫病をユダヤ人の仕業としてユダヤ人狩りが多く発生した」という。

イタリア南部ナポリに掲げられた「恐れず一緒に」と新型コロナウイルス対策を訴える看板(昨年3月23日、AFP時事)

イタリア南部ナポリに掲げられた「恐れず一緒に」と新型コロナウイルス対策を訴える看板(昨年3月23日、AFP時事)

 ペストの「中国発生説」については、「生物考古学者が掘り起こした遺骨を検証した結果から明らかになった事実だ。中国と欧州の間では通商が盛んだった。中国からシルクロードを経由してペストが伝わった。ペストで何人の中国人が亡くなったのかという詳細な情報は当時、欧州には伝わっていなかった」(同教授)という。

 同教授によると、「イタリア北部、フィレンツェ、ミラノ、ベネチア、ジェノバは当時、既に人口10万都市で、欧州の世界貿易の拠点だった。例えば、ペスト前に人口約12万人だったフィレンツェ市は1427年の人口調査では3万7048人へと激減している。同市は当時、手を洗うなどの衛生規制、物価の高騰を防ぐために価格規制や教会の鐘を禁止するなど対応に乗り出していた」という.

 船舶は40日間の隔離期間後、ベネチアに錨(いかり)を下ろすことができた。40日間という隔離期間の導入もその時決められた。「隔離」を意味する英語「クワランティン」はイタリア語の「40」を意味するクアランタを語源としている。

 一方、新型コロナウイルスは、欧州ではイタリア北部を中心に感染が爆発的に広がっていった。新型コロナの最大感染国となったイタリアの北部ロンバルディア州は中国企業との関係が深い自治体として知られている。イタリアは先進7カ国(G7)の中でも中国の一帯一路に最初に参加を表明した国だ。ロンバルディア州の代表的産業都市ミラノには中国から多くの企業が進出している。モード産業では中国が廉価の布、安価な労働力をイタリア側に輸出し、最近では国内生産のために多くの中国人がロンバルディア州内で働いている。中国共産党政権が新型コロナの感染発生を数カ月間、隠蔽(いんぺい)していた間、イタリアと中国との間の人的交流を通じて新型コロナが広がっていったわけだ。

 ウィーン1区のグラーベンにペスト記念柱が建立されている。欧州各地で同じようなペスト記念柱が見られる。欧州全土を何度かペストが襲い、無数の人々が犠牲となった。それを慰霊する柱だ。そして今、中国から新シルクロードを経由して新型コロナが欧州全土を覆っている。欧州だけでも約73万人が亡くなっている。

 いずれにしても、両感染症の発生源は中国であり、感染ルートはシルクロード経由、そして欧州の最初の感染地はイタリアであった。不気味な類似点が浮かび上がってくる。