タイの与野党が足の引っ張り合い
下院解散でも政争不可避
タイのインラック首相兼国防相は9日、反政府デモ隊との全面衝突を回避するため下院を解散。来年2月2日に総選挙が行われることになった。しかし、野党出身のステープ元民主党幹事長率いる「人民民主改革委員会(PDRC)」は解散、総選挙による仕切り直しを了解せず、インラック首相が直ちに首相の座を降り、国民評議会を設置するよう求めている。タイ政治は与野党が相互に足を引っ張り合いながら国家そのものが疲弊していく、かつてのバングラデシュ政治の様相を示し始めている。
(池永達夫)
国家そのものが疲弊
バンコクの反政府デモを率いるステープ元民主党幹事長の提案は、2月2日投票の議会下院総選挙を阻止し、さまざまな職種の代表300人と専門家100人からなる「人民議会」に国権を委ね、既成の立法府、行政府のシステムを作り替えるというものだ。また、インラック首相にその座を降りて国家統合を任せられる人に首相を務めてもらおうともしている。さらにステープ元民主党幹事長は「聞き入れない場合、タクシン一族に幸せな日は二度と訪れない」との露骨な脅し発言もしている。
タイの憲法では、下院解散後45日から60日以内に総選挙を実施。この間、旧内閣が選挙管理内閣として制限付きながら国政を運営。これは、政治の空白期間をつくり国益を損なうことを避けるための措置であり、首相・閣僚は辞任することができない規定になっている。
ステープ元民主党幹事長の提案は、こうした憲法規定をも超えた超法規的なものだ。
さすがにそれだと民主主義国家の根幹が揺るがされかねないと、有識者や軍などがPDRCの「暴走」にブレーキをかける動きに出ておりPDRCの主張もトーンダウンし始めている。
一方、インラック首相は12日のテレビ演説で、政治改革を議論するため、政党、財界、教育機関、市民団体などの代表によるフォーラムを開催すると述べた。ただ、首相は反政府派にも参加を呼び掛けたものの、反政府派はこれを拒否している。
タイでは第2次大戦後から1980年代まで軍事政権が続いた経緯があり、クーデターで憲法、法律が一気に塗り替えられることが頻発した。また、誰もが既にクーデターの世は終わったと思っていた矢先の91年や最近では2006年にもクーデターが発生している。
こうした歴史的経緯と、立ち遅れが目立つ教育によって、民主主義や法治国家を守り抜く覚悟が弱い側面がある。
さらに、バンコクなどの大都市市民やタイ南部に支持者が多い民主党と、北部や東北部農民の圧倒的支持を受けるタイ国民党が国民を二分している感もある。
何よりこれまで国民を統合してきたプミポン国王が病に伏して以来、タイ政治の安定役としてのパワーが減退しているのは紛れもない事実だ。
今回も12月5日の国王誕生日の席で、衝突で死傷者が出ている事態に直接言及せず、語ったのは「タイの安定に向けて義務を遂行するように」との国民に向けたメッセージだけだった。1992年にデモ隊と治安部隊が衝突し、多くの死傷者が出た「5月騒乱」では「廃虚の中で勝利の旗を振って何の意味がある」と軍と反政府活動家ら双方をたしなめ、混乱を見事に収めた当時からすると隔世の感が強い。
タイがこれまで誇ってきたのは、その政治的安定度の高さだ。そのタイ政治の安定を支えたのは、政治家と軍人、国王といった国家を支える3本の柱がそれぞれにしっかりしていて、さらに相互に支え合うような構造があったからだ。だが、近年になってこうしたタイ政治の安定的構造が崩壊し始めており、タクシン政治以後、国家そのものが割れてタクシン支持派の赤シャツ軍団と反タクシン派の黄シャツ軍団によって二分されるなど、政治的安定度が極端に悪くなっている。
今回のタイ政治の混乱も、その延長線上にあるわけだが、与野党が相互に足を引っ張り合いながら国家そのものが疲弊していく、かつてのバングラデシュ政治の陥穽(かんせい)に陥ることを避けるために、政治家だけでなく軍人や王室のありようをも総合的に再構築していく課題を抱えている。






