舒明天皇の初葬地か、国内最大級の方墳発見


古墳の一部とみられる石積みと堀が奈良県明日香村で出土

舒明天皇の初葬地か、国内最大級の方墳発見

国内最大級とみられる方墳の石積み。写真下から墳丘下部、堀の底、石が貼られた堀の斜面(橿原考古学研究所提供)

 奈良県立橿原考古学研究所は15日、同県明日香村で、天皇か大豪族クラスの古墳の一部とみられる石積みと堀が見つかったと発表した。7世紀中頃の方墳と推定され、墳丘は一辺50メートル以上。石舞台古墳(7世紀前半、同村)を超える国内最大級の方墳とみられる。同研究所は規模などから、中大兄皇子(天智天皇)の父、舒明天皇が最初に葬られた墓の可能性が高いとしている。

 舒明天皇は没後、最初に葬られた場所から同県桜井市の段ノ塚古墳に改葬されたとされる。同研究所の菅谷文則所長は「(改葬後に)元の場所がどうなったか、解明の端緒になる」と話している。

 同研究所によると、見つかった古墳は四角形と推定され、墳丘下部とみられる石積みが10段(高さ計約60センチ)と、堀の跡が確認された。堀は幅が約3メートル90センチで、底部に石が敷かれていた。

 墳丘の反対側の堀の斜面には多数の石が貼り付けられ、発掘された分だけで高さが11個分(約1メートル)あった。墳丘と堀は、場所によって異なる種類の石材が丁寧に使い分けられていた。石室は見つかっていない。

 被葬者が大豪族の場合、7世紀前半に権勢を振るった蘇我蝦夷が考えられるが、当時の豪族の墓は居宅近くにあるのが一般的で、可能性は低いという。同研究所は古墳の規模や築造年代などから、舒明天皇の最初の墓の可能性が最も高いと判断した。

 当時の天皇が改葬された例は他にもある。今回見つかった古墳全体の調査を進めることで、最初に葬られた場所が改葬後、どう扱われていたか解明する手掛かりになるという。