「どこまでも自由に」、重圧を解き放つ大技


平野歩夢選手の挑戦の連続、見守った恩人も喜びを爆発

「どこまでも自由に」、重圧を解き放つ大技

スノーボード男子ハーフパイプ決勝2回目の平野歩夢=11日、張家口(時事)

 「どこまでも自由に立ち向かって行ける」。北京五輪スノーボード男子ハーフパイプ決勝。重圧をはねのけ、平野歩夢選手(23)=TOKIOインカラミ=はただ一人、最高難度の大技トリプルコーク1440を決めた。3回目で96・00点をたたき出し、逆転で悲願の金メダルを手に。成長を見守った恩人らも喜びを爆発させた。

 「最近こんなことを思う。人は負荷がかかればかかるほど、身軽になるんじゃないかって。どこまでも自由に立ち向かって行ける気がする」。15歳で初出場したソチ、19歳で臨んだ平昌と2大会連続で銀メダルを獲得した平野選手。昨夏にスケートボードの二刀流に挑戦した東京五輪後、SNSにこうつづった。

 ただ、父の英功さん(50)は合点がいかなかった。「負荷は重荷だろう」。ところが、息子は昨年12月、公式大会で初めて大技を成功。間近で見ているうち、重圧から解き放たれたかのように舞い上がる姿に納得した。

 平野選手は4歳から、英功さんが運営する地元・新潟県村上市のスケートパークで技を磨いた。子供たちに練習環境を。英功さんの熱意に動かされてパーク立ち上げ時に支援したのが、後に日本スケートボーディング連盟代表理事に就く佐藤巧さん(68)だ。

 佐藤さんが「重圧をはねのける力が付いた」と指摘するのは、約5年前に負った大けが。技への貪欲さが増し、ついに五輪の大舞台で大技を披露した。佐藤さんは「決めると思っていたが、こんなに素晴らしい試合を見られるとは」と、興奮しきりだった。

 幼い頃から成長を見守ってきた福島県の酒井喜徳さん(75)も「夢のような物語だ」と感激した。会津高原南郷スキー場でコース造成に携わる酒井さんは、父に連れられ、キャンピングカーに寝泊まりしながら通った姿を今も覚えている。平野選手を一時自宅で預かったのも思い出だ。

 「当時からエアの高さはひときわ。朝から毎日練習していたが、並の根性ではできない」と酒井さん。「ショーン・ホワイト選手に代わり、スノーボード界を引っ張っていく選手になった」と絶賛した。