真珠湾攻撃80年、「捕虜第1号」の手記を出版
特殊潜航艇に乗り出撃、ネットで寄付を募り碑も建立へ
日米開戦から8日で80年となるのを前に、真珠湾攻撃に参加し、太平洋戦争で初の日本人捕虜となった元海軍少尉、酒巻和男さん(故人)の2冊の手記をまとめた「酒巻和男の手記」が出版された。8日には出撃訓練した愛媛県伊方町で、碑の除幕式も予定されており、長男潔さん(72)=愛知県豊田市=は「父も喜んでいると思う」と感慨深げに話す。
和男さんは1941年12月7日夜、特殊潜航艇に乗る5組10人の一員として真珠湾に出撃した。しかし、故障のため座礁し、意識を失っているところを米兵に捕らえられた。当時、捕虜になることは恥とされていたため国内では伏せられる一方、戦死した他の9人は「九軍神」とたたえられた。
和男さんは米国内の収容所を転々とし、終戦後に帰国。47年に「俘虜(ふりょ)生活四ケ年の回顧」、49年に「捕虜第一号」の2冊の手記を出版し、トヨタ自動車海外法人の社長などを務めて99年に81歳で亡くなった。潔さんによると、生前の和男さんは戦争の話は一切せず、取材も断っていたという。作家山崎豊子さんの遺作「約束の海」の主人公の父のモデルにもなった。
戦後75年の節目となる昨年、手記を読んだ元教員の青木弘亘さん(80)=徳島県美波町=が、2冊を現代仮名遣いに直すなどして読みやすくした合本を出版。開戦80年となる今年、新たな資料を追加した増補版が出た。
特殊潜航艇の訓練をしていた愛媛県伊方町三机に、和男さんを含めた10人の碑を建立するなどのプロジェクトも進められた。資金はクラウドファンディングで賄い、500万円を目標に来年3月末まで募集を続ける。近くには「九軍神」の慰霊碑があり、青木さんは「実際には10人いたということを史跡として残したい」と力を込める。
手記の出版後は大きな反響があったという。潔さんは「父が捕虜になって死にたいと悩み苦しむ中からはい上がっていく過程や、後から来る捕虜に『自暴自棄になるな』と諭す様子が読み取れる。いじめや不登校に悩む人など多くの人に読んでもらいたい」と話す。問い合わせはイシダ測機(088-625-0720)まで。