宮城の後藤涼佑さん「母のような看護師に」


大震災から3年、被災地に寄り添い貢献

宮城の後藤涼佑さん「母のような看護師に」

看護師を目指し実習に励む後藤涼佑さん(中央)=2月19日、宮城県気仙沼市

 「目標は母のような看護師」。宮城県南三陸町出身の後藤涼佑さん(20)は昨年春、同県気仙沼市の准看護学校に入学し、東日本大震災の津波で行方不明になった母弘美さん=当時(46)=と同じ道を歩み始めた。被災地で患者に寄り添う看護師を目指し勉強の日々が続く。

 高校生の時、部活動中のけががきっかけで、神経が過剰に刺激され、日常的に足が痛む病気になった。将来に不安を抱え悩んでいた後藤さんに、弘美さんが声を掛けた。「自分のやりたいこと、何でもやりなさい」。母の職業であり、自分の病気のつらさにも共感してくれた「一番身近な」看護師の道を意識し始めた。

 その約2カ月後に震災が発生。南三陸町の公立志津川病院に勤務していた弘美さんは、患者を上層階に避難させている途中で津波に襲われた。最後に目撃されたのは点滴を交換している姿。「母は最後まで患者に寄り添っていたと聞き、看護師になろうと心に決めた」

 入学した気仙沼市医師会付属准看護学校は、弘美さんの母校でもある。約半年間、看護や医療の基礎知識を学び、昨年11月から病院実習も始まった。血圧の測定や患者の体を拭く作業など、初めての看護現場を経験。「平等に接しつつ、患者の性格などに応じて声色や話し方に工夫が必要。改めて大変さを実感した」と言う。

 来年3月の卒業後は高等看護学校に進み、正看護師の資格を取るつもりだ。ただ、「進路は体の調子も見ながら決めたい」と、薬で痛みを抑えながらの生活には不安もある。

 それでも、看護師への思いは強い。町内で患者から親しげに話し掛けられる存在で、3年たった今も感謝の言葉が届くという母は大きな目標だ。「被災地への貢献なんて大それたことはできない。でも、人々に寄り添い、支えになれる看護師として、できることから復興に携わりたい」。夢に向け一歩ずつ進んでいく。