異例尽くしの大会に幕、「復興」発信機会乏しく
大会を支えた大勢のボランティア、開催を評価する声も
新型コロナウイルスの感染急拡大で、祝祭ムードが乏しいまま続いた17日間の祭典。無観客開催のため、東日本大震災からの復興を伝える機会は限られ、ボランティア予定者の多くも活動の場を制限された。8日に閉幕した東京五輪は、何を残したのか。
震災からの復興と感謝を、世界に発信する機会として期待された大会。ソフトボールと野球の舞台となった福島県では、風評払拭(ふっしょく)のための県産品の試食、震災当時の映像とともに被災体験を話す「語り部」の活動など、会場周辺で予定していた多くの計画が取りやめになった。復興支援への感謝をつづったメッセージ板が多くの人の目に触れることもなかった。「思い描いていた形の復興五輪は難しかった」。福島市の担当者は悔しさをにじませた。
ただ期間中に、米国やドイツをはじめ多くの海外メディアから大震災に関連した取材があったという。県の担当者は「十分だったかは分からないが、関心を持っていただけた」と手応えを語った。
ほぼ無観客の大会を支えたのは大勢のボランティア。東京都立川市の女性会社員(45)は、来場者の誘導役だった人らを対象に都が実施した抽選に当たり、羽田空港で4日、海外選手団を見送った。実働は約1時間。写真を撮りながら出国する選手らを見て、「(大会を)やったかいがあった」との思いを強めた。
狛江市の俳優業、原靖幸さん(40)はスケートボードの会場で選手らの誘導を担当した。「試合後に健闘をたたえ合う姿に感動した。開催できてよかった」と語った。