スポーツクライミングの野口啓代、銅で現役に幕
「最高のパフォーマンス」、ぶつけた経験・技術・力
世界のスポーツクライミング界を長年引っ張ってきた野口が、競技人生最後の日と決めた東京五輪決勝。「最高のパフォーマンスを」と誓い、経験、技術、力、全てを注ぎ込んだ。
五輪延期後、最も伸びたスピード。決勝トーナメントの3位決定戦で野中に敗れたものの、4位は上々のスタートとなった。最も得意でプライドがあるボルダリングは、全3課題で完登はなかったが、ゾーン(中間点)を二つ取り4位。最後は、16歳で臨んだ2005年の世界選手権で銅メダルを獲得したリード。一手一手丁寧に進み、4位の高度をマークした。
小学5年の時に、旅行先のグアムで体験したのがきっかけで競技を始めた。茨城県龍ケ崎市の実家で、牧場を経営していた父健司さんが牛舎だった建物に設置したクライミング用の壁を使い、鍛錬してきたのが「原点」だ。
昨年5月には、所属先の支援を受けて3種目の壁が実家にできた。行動認識の人工知能(AI)が使用されており、登り方の癖や改善すべき点が分かった。第一線を走り続けてきたベテランが「自分は本当にまだまだだったんだな」と再認識。五輪延期でできた1年も「ステイホーム」しながら貪欲に成長を求めてきた。
スポーツクライミングの五輪実施に向けた活動にも尽力。時に、故障や追われる立場のプレッシャーにもがきながらも、20年以上、ひたむきに競技と向き合ってきた。汗と涙の結晶となったメダルを誇りに、現役生活の幕を閉じる。
野口啓代 あまりうまくいかなかったが、最後まで諦めずに登れたのがよかった。(野中)生萌とはずっと一緒に頑張ってきたので、2人で表彰台に乗れてすごくうれしい。