地方創生は人間創生から 平成の“山”勤交代(下)
鳥取県智頭町町長 寺谷誠一郎氏に聞く
森でメンタルヘルス 人間再生力、医学的にも立証
石谷家を観光拠点化 本物志向でリピーターつく
――石谷(いしたに)家を一般公開した経緯と成果は?
智頭町は93%が森だ。それで昔はものすごく裕福だった。林業がいいときには、それこそ鳥取県でも段トツのトップランナーで羽振りはよかった。
ところが50年育てても、今では外材に押されて、杉の木が二束三文だ。町民は昔はよかったと昔の栄光にしがみつくだけで、今どうするか考えない。
それで私は、石谷家の屋敷を智頭観光の目玉にしようと考えた。
石谷家というのは、日本の山林王の五本の指に入る大きなお屋敷がある。その家の中に神社というか結婚式ができる部屋がある。七つある土蔵には国宝級の屏風(びょうぶ)や陶器とか無造作に入っている。北海道の小樽にはニシン御殿があるが、石谷家はそれに匹敵する山陰の檜(ひのき)御殿だ。
これを一般公開して、閉鎖的なこの町に新しい風を送り込もうと思ったのだ。
今、観光客は年3万人を維持している。
――普通は最初は良くても、2年、3年となると低迷してくるものだが。
そうだ。一回見ると、もう一度とはなりにくい。普通ならだんだん、あきられて落ちていくが、ずっと維持している。
文化庁もかなり健闘していると評価している。マックスで5万人だったが、リピーター率が高いのが特徴だ。
――リピーターを引きつける魅力は何か?
一つは案内が親切で、いぶし銀のような壮年がしっかりガイド役を果たしてくれていることが大きい。それにリピーターが来るのは、やっぱり本物がもつ魅力だろう。
――智頭町は観光客だけでなく、ビジネスマンも呼び込もうとしている?
都会のストレスで息が詰まりアップアップし始めた人が、出てきている。本来、働き盛りながら、いつ、鬱(うつ)になってもおかしくない鬱予備軍がどんどん増えている。
心が弱いからそうなるのではなく、ストレス社会の犠牲者だ。昨日、元気だったはずの社員が急に来なくなる。しかし、会社も「辞めろ」というわけにはいかない。福利厚生で少しは手当できるかもしれないが、会社とすればお金の面倒も見ないといけない。会社には来ないのに、給料は払う。しかも、空いた仕事の穴を埋めるために、新しい社員を雇用しないといけない。
内閣府の統計によると、鬱になると、年間、大体7、800万円くらい飛んでしまうという。
国もメンタルヘルスを言いだしているが、智頭はそうした鬱予備軍を受け入れて、心の再生を図りたいと思っている。こうした状況は、ほっとくといくらでも増える。
そもそも東京の人も、自分は東京生まれかもしれないが、お父さんやお爺(じい)さんになると故郷の田舎があった。先祖を辿(たど)ると全部、山につながっている。そもそも縄文人は山でドングリを拾うなど採集生活をしていた。それで一回、先祖返りして、山に帰る。そこで深呼吸して、改めてばりばり働けばいい。
智頭はその点、93%が山だ。今、東京4社、名古屋3社、大阪3社の大手10社が智頭の森林セラピーに加担してくれている。
智頭町はこれを本格化させるために、データをそろえた。
大手企業に行って「森林セラピーするとリラックスできストレス解消になります」と言っても雰囲気としては分かるというだけだ。それを医学的に立証されれば説得力が出てくる。
それで、センサーを被験者に着けて、脈拍から脳波、血圧といった医学データの統計を取った。
被験者は東京、大阪、名古屋から5人ずつ、智頭に来てもらって実験をやった。ハードな仕事時のデータと森林セラピーのデータを取った。それを千葉大学の教授が分析結果を発表している。すると森林セラピーで実際の効果が出ている。しかも都会に戻っても、その効果は残る。大体、持続性は5日間程度ある。
そういうデータが出て、そこまでいくと企業としても、話に乗ってきやすくなる。さらに、有馬温泉のビューホテルと智頭の森林セラピーが手を組み、温泉浴と森林浴で効果的なメンタルヘルスができるようになっている。
そういう新しい形での誘致企業を智頭は考えている。工場や会社そのものの誘致ではなく、人間だけ来なさいという形だ。
それに智頭には光ファイバーも入っているし、仕事もできる。ここでずっと仕事をしてもいいねとなるかもしれない。
中にはそういう会社も出てきていて、IT起業家も少しずつ、智頭に住みつき始めている。仕事場は智頭の空き校舎を改造したものだ。別に東京にいなくても、回線がつながっていればできる仕事だ。
そうすると小さな町でもトップランナーになれるチャンスがある。怖いけど、一方ではそういう可能性も秘めている。非常に夢のある、こういう時代は二度とないだろう。これにチャレンジしない手はない。
山は銭にならんと田舎をバカにする人が町の外だけでなく中にもいるが、おっとどっこい、大自然に比べると人間なんて埃(ほこり)みたいなものだ。その大自然を味方につけると、人間を浄化できる。
今までは東京集中で、田舎にいてもうだつが上がらなかった。今度は東京にいたらうだつが上がらない。田舎に行って、心も体もリフレッシュすると、逆だ。これが人間創生だと思う。
――地方創生の原点は人間創生?
そうだ。
――農業は大麻を武器にして活性化を図るということだったが、林業は?
智頭には町有林が500㌶ある。それを林業志望者が本気なら、一部、無料提供したい。ただ、山仕事といっても素人にはなかなかできない。それで林業志望の青年や壮年を一年、チェーンソーとか教育して、その上で林業再生を図りたいと思っている。
もう一つは、個人で持っている山を町でまとめるという作業も大事だ。
長男は都会で暮らし、俺もそろそろあの世行きだという住民は多い。山はあるけど誰も面倒見ない。それならば山を町に寄付してください。一時金でも欲しいというなら、それも手当する。
そうしたものをまとめて町有林にし、山仕事への情熱がある個人に提供する。それで自立できるようなシステムを作りたい。人を呼んで来てやれというのはそれぐらいやらないと駄目だ。10年住み着いてくれたら、土地も建物もあげますよというものだ。
さらに今回、テストケースとしてやったのは、智頭の若者が結婚のために鳥取市に出るのを引き止めた。町有地があるから無償で提供する。ただ、条件として新築する家は地元の杉を使い、大工も地元の人間を使ってもらった。
それで外に出ようとしていた青年3人が智頭に残った。3人出るところが3人とどまっただけでなく、嫁さんがついて、さらにこれから子供もできる。土地を無償であげても大したことじゃない。
議会では異論もあったが、この方向性は正しいので将来的に理解が得られるだろうと判断し、私の判断で事業は進めさせていただいた。
(聞き手=池永達夫、森谷司)