国家百年の計示せる政治家を 元松下政経塾常務理事・副塾長 上甲 晃氏
未来をひらく人づくり~松下幸之助の志
元松下政経塾常務理事・副塾長の上甲晃氏はこのほど、世界日報の読者でつくる「世日クラブ」(会長=近藤讓良・近藤プランニングス代表取締役)の今年最後となる第158回定期講演会で「未来をひらく人づくり~松下幸之助の志」をテーマに講演した。以下はその要旨。
汗をかき人間力高める/専門的勉強よりトイレ掃除
自分が変わらずに人は育てられない
松下幸之助は85歳で、松下政経塾を立ち上げた。それはお金がいっぱいあったからではなく、やむにやまれぬ思いがあったからだ。
松下幸之助は「日本の政治には経営がない。このままの政治が続けば日本は、やがて行き詰まる」と21世紀の日本のことを大変心配していた。経営とは、中国の本来の言葉の意味に合わせたもので、三つの条件がある。一つ、将来のあるべき姿を指し示すこと。二つ、指し示したあるべき姿を、実現させる段取りを考えること。三つ、考えた段取りに従って、その時から、実行していくこと。松下幸之助は「この三つが揃(そろ)った時に、そこに経営というものが成り立つんや」と言っていた。
だから松下政経塾では、国家の政治のことを「国家経営」と呼んでいた。そういう観点から幸之助は、「日本の政治家には経営がない」と指摘し、特に一つ目がないと言っていた。「こんな日本をつくりましょう」と国民に熱く呼び掛け、また国民も、その声や目標を聞いて「そんな日本になるんだったら」と奮い立つ。そんな国家百年の計を打ち出す政治家が欲しいと願っていた。
また松下幸之助の人づくりというのは、独特のものがあった。昭和の初め、松下電器が、まだ本当に零細企業だった頃、ある幹部が、外部の会合で「松下電器という会社は何を作っている会社ですか」と聞かれ、「電気製品を作っている会社です」と答えた。その話を聞いた松下幸之助は「君の、その答え、僕の考え方と違うな」と否定した。そして、「君な、知識も大事や、技術も大事や、資格を取ることも大事や。しかしな、それは全部、人生の道具にすぎない。どんな立派な道具を揃えても、それを使う人間が立派な人間にならない限り、絶対にええ仕事は出来ん。松下電器は電気製品作る前に、人間つくる会社や」と答えた。まさに、その答えが、松下幸之助の人づくりを象徴する原点だった。
例えば、「彼、東大を一番で卒業したんです。凄(すご)い秀才ですよ。ただ人間的には本当に嫌な奴なんですよ」となると、東大を一番で卒業した人でも能力を生かせない。なぜ、こんなに頑張っているのに成果が上がらないのか、となってしまう。だから、自分の人間としての魅力を高める努力を根底にして人を育てなければ、あらゆる努力が全て空回りする。
アメリカの最新の選挙手法を導入して、最高の選挙カーを用意して、最高級のファッションで、最高のポスターを用意しても、候補者本人の魅力がないと選挙で当選し続けることはできない。松下政経塾では、松下幸之助の「政治学を勉強しても、立派な政治はできない」という持論から、専門的な高度な政治学の勉強などは一切せず、人間力を高める一番大事なカリキュラムとして、毎朝早く起きて、トイレ掃除を行っていた。
そして、どうしたら魅力を高めることができるか、我々が、魅力的になる方法はただ一つ、己自身の損得を超えて、皆の損得のために惜しげもなく力を差し出せる人間になるしかない。
松下幸之助が、政経塾で一番教えたかったのは、このことだった。今、ウオーキングが流行っている。しかし、その姿を見て、世間は立派な人だと言わず、熱心な人だと言う。なぜか、自分の健康のためにやっているからだ。自分の健康のためにどんなにやっても、熱心であって、立派とは言わない。しかし、そこで翌日から、ビニール袋を持って、ゴミ拾いをしながらウオーキングをしたら、立派な人だと言われる。ですから、我々が立派になるためには、ただ一つ、他人のために力を尽くすこと以外ない。自分の利益のためにだけ熱心なのではなく、人のために惜しげもなく自分の力を差し出そうと努力していくことで、実は自分も立派になっていく。それが松下政経塾の根本なのではないかなと思う。
だから政経塾には、自民党や民主党の人もいれば、維新の党の人などいろいろいる。それはなぜか、根本において、主義主張は違ってもいい。しかし、一番根っこの所における人間力。己自身の損得を超えて、皆のために真剣になろうという心だけは共通であってほしいという思いで、教育していたからではないかと思う。
その教育では、いろいろ苦労した。自分に強い自信を持っている政治家を教育するのは大変難しかった。その時に、私を救ったのはマザー・テレサの言葉だった。テクニックの問題などではなく、根本における人に対する愛情がなければ人に対する教育はできないと教えられた。
そのマザー・テレサの本を読んでいるうちに本人に会いたくなり、後先考えずにマザー・テレサの活動拠点があるインドのコルカタ(当時はカルカッタ)にまで行った。会うことは難しかったが、「礼拝堂の玄関で待っていれば会える」と教えてもらい、何とか会うことができた。
当時のコルカタは、人口1000万人のうち、200万人は路上生活者で、膿(うみ)がいっぱい体から出て、蛆(うじ)虫がわいているような人が、帰る場所もなく町に転がっていた。マザー・テレサは、そこで死にかかっている人たちを一人一人抱きかかえて「死を待つ人の家」に連れて行き、そこで体を綺麗に洗い、温かいスープを飲ませてあげて、死ぬ最後の瞬間ぐらい人間らしく迎えさせてあげようという活動をしていた。
そのマザー・テレサに、「どうしてあなたは、あの臭い、汚い、とても傍(そば)に寄りたくない、乞食のような人たちを抱きかかえられるのですか」と尋ねた。その答えは、「あの人たちは乞食ではありません」と、こんな短い一言だった。あの人たちが乞食でないなら何なのか、彼女は「イエス・キリストです」と答えた。それはなぜなのか、マザー・テレサは「イエス・キリストは、この仕事をしているあなたが本気かどうか、この仕事をしているあなたが本物かどうかを確かめるために、あなたが一番受け入れがたい姿で、あなたの前に現れるんです」と教えてくれた。
その瞬間に、私が政経塾で、辞めてほしい、口も利きたくないと思っていた塾生が、イエス・キリストだったと分かった。そして、私が、口も利きたくないと思っている間は、絶対に相手も、私に心を開くことはない。私が変われば、相手が変わることに気付いた。
その時、やっと「他人を変えることはできない」という教育の極意が分かった。こんな当たり前のことに気が付くのに14年かかった。常に人が自分の思うように変わることばかり考え、どれほど人を批判し、人を悪く言い、人を傷つけてきたことか。他人を自分の思うように変えようなんて、実は極めて思い上がった考え方だった。
皆さんにも「顔を見たくない」、「口を利きたくない」と思う人がいるかもしれないが、イエス様だと思って、今日から付き合ってみてほしい。相手を受け入れようと思うと、なぜか、自分が変わる。自分が変わると、相手を受け入れられるようになる。
そう考えた時、人を育てるには、自分が変わっていくしかない。これが私の教育の原点だったように思う。