文化の日 令和の文化創造し発信しよう
きょうは令和最初の文化の日である。文化の花開く令和の時代を、われわれはどう築いていくべきだろうか。
成熟の可能性秘めた時代
昭和のとりわけ戦後、そして平成とわが国は文化国家を標榜(ひょうぼう)してきた。令和はその平和を享受した時代の延長線上にあり、より成熟した文化の花を咲かす可能性を秘めている。何より令和という元号がそのことを含意している。
令和は「万葉集」の中の大伴旅人の歌の序文「時に初春の令月にして、気淑(よ)く風和らぎ、梅は鏡前の粉(こ)を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫す」から取られた。
この元号について、安倍晋三首相は「厳しい寒さの後に春の訪れを告げ、見事に咲き誇る梅の花のように、一人ひとりの日本人が、明日への希望とともに、それぞれの花を大きく咲かせることができる。そうした日本でありたい、との願いを込め」決定したと語った。
また、首相は「即位礼正殿の儀」の寿詞(よごと)でも「人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ時代を創り上げていく」ことを表明した。
こうした文化の花が咲き誇る時代をイメージしながら令和をスタートできたことは、喜ばしいことだ。では、どのような花を咲かすべきか。
令和がわが国の元号の歴史で初めて国書から取られたことに象徴されるように、令和の時代の文化は日本の伝統と国柄をより明確に示したものとなるべきだ。戦後の一時期に見られた過去や伝統への行き過ぎた批判の誤りに気が付き、日本文化が世界に誇り得る普遍的な魅力を持つものであることを、日本人自身が認識するようになったことがその素地となるだろう。
一方でそれが独善的な自国文化至上主義に陥ってはならないのは言うまでもない。常に世界の中の日本という複眼の思考が必要だ。
文化の創造・育成には、国家の平和や経済力などが前提となる。令和の文化の創造のため、その土台をしっかりと整える努力が欠かせない。
日本は魅力的な文化を持ちながら、世界への発信力が弱いということがよく言われる。控えめな奥ゆかしさは日本人の美質だが、文化や情報の発信においてはマイナスとなる。
訪日外国人の増加はその重要性を物語っている。年間で人口の5倍の訪日客が訪れるようになった岐阜県高山市は、これまで地道な海外への発信を行ってきた。こうした取り組みが日本の文化全般に求められている。
来年は東京五輪・パラリンピックが開かれる。世界の注目は日本に集まり、また多くの人々が日本を訪れる。日本という国、そこに息づく文化を世界にアピールする最大の機会である。
訪日客への機会提供を
能や歌舞伎、文楽などの伝統芸能や、海外でも人気の寿司などの日本食に触れる機会を持ってもらうのも重要だ。その一方で、文化は日常の生きざまのうちに現れるもの。こうした普段着の日本および日本文化も味わってもらいたい。いずれにしても来日した外国人が日本文化に接する機会を提供するための工夫が必要だろう。