稀勢の里、強さと品格で範を示す横綱に


 日本人全体が待望した新横綱が誕生した。明治神宮(東京・渋谷)で行われた新横綱の奉納土俵入りには、平成6年の貴乃花の時の2万人に迫る1万8000人が詰め掛けたことからも、日本中の喜びと期待の大きさが分かろう。

日本出身は19年ぶり

 初場所で悲願の賜杯を初めて手にした大関稀勢の里について、横綱審議委員会の満場一致の推挙を受け、日本相撲協会は第72代横綱への昇進を正式決定した。日本出身の横綱誕生は3代目若乃花(平成10年)以来、実に19年ぶりである。拍手を送るとともに心から祝福したい。

 同時に最高位に昇った後は、引退あるのみの厳しい道が続く。常にその重責を担う覚悟が問われる毎日である。昇進の伝達を受け、「横綱の名に恥じぬよう、精進いたします」と述べた簡潔な口上は、飾り気のない素の気持ちそのままを伝えたもので、出身地の茨城(牛久市)気質の質実剛健を感じさせる。

 茨城県は優れた実力と人望で相撲界を牽引(けんいん)し「角聖」と呼ばれた第19代横綱常陸山が出るなど伝統的に相撲の盛んな地である。今後はさらに精進を重ねて強くなるとともに、その品格の範を示し故郷の「角聖」のように尊敬される横綱として角界を引っ張ってもらいたい。

 大相撲は3代目若乃花の後、第67代武蔵丸から朝青龍、白鵬、日馬富士、鶴竜と5代続いて外国出身の横綱が誕生した。この間に親方による力士暴行死や野球賭博、八百長問題などの不祥事が相次いだ。一時は存続すら危ぶまれた時に、角界の先頭に立ってひたすら信頼回復に努めてきたのは、白鵬をはじめとする外国勢であった。今日の大相撲の興隆は、このことに負うところ大なることをしっかり心に刻んで励んでもらいたい。

 稀勢の里は中学の卒業文集に「天才は生まれつきです。もうなれません。努力です。努力で天才に勝ちます」と記している。だが、周囲からは早くから大器と注目され、大関、横綱を期待されてきた。

 その期待に応え、15歳で初土俵を踏むと、新十両には昭和以降では貴乃花(当時・貴花田)に次ぐ17歳9カ月、新入幕も貴乃花に次ぐ18歳3カ月の年少昇進を記録。順調に力を付けて番付を上げ、前頭筆頭だった平成22年九州場所では双葉山の69連勝超えを目指した白鵬の連勝を63で阻む金星を挙げた。

 だが、大関になってからは白鵬の厚い壁にはね返されて足踏みしてきた。優勝次点12回の成績を残しながら、ここ一番で決め切れず綱取りを6度も逃してきた。昨年は初優勝も同じ大関の琴奨菊、豪栄道に先を越された。それでも我慢し、腐らずに努力を重ねて、ついに初場所で遅咲きの大輪を咲かせた。

大相撲の醍醐味伝えよ

 入門から苦節15年、頂点に立ったのは努力の賜物(たまもの)である。新入幕から横綱昇進まで73場所は昭和以降では最も遅い出世、大関通過31場所は昭和以降3番目のスロー昇進となる。部屋伝統の荒稽古に耐え鍛え蓄えた力が財産となって発揮されるのはこれからだ。大相撲の醍醐味(だいごみ)を伝え、新時代の横綱像を打ち立ててもらいたい。