終戦の日、平和のリアリズムが重要だ


 きょうは終戦の日。祖国に殉じ、戦火の犠牲となった300万同胞の御霊に、心からの鎮魂の祈りを捧(ささ)げたい。そして激動する世界の中で、日本が置かれている状況と今後について考える日としたい。

 現実から遊離した憲法

 先の大戦の終結から71年が経過した。この間、日本は焦土の中から立ち上がり、復興と経済成長を成し遂げ、自由と民主主義を奉ずる経済大国の位置を確立した。日本国憲法が謳う平和主義を掲げ、平和国家、文化国家を目指して進んできた。

 幸い日本は戦後、武力紛争に捲き込まれることもなく、平和を享受できた。だが、それができたのは東西冷戦という時代の基本構造があり、その中で自由主義陣営の大国である米国と同盟関係を結んだことが大きい。

 日米同盟によって日本が戦争に巻き込まれる、集団的自衛権行使を認めることで、さらにその危険が高まる、と左翼の人々やいわゆる平和運動家は主張する。しかし事実は逆である。

 軍事的なものを否定し、ただ平和を叫ぶことで、平和が担保されたのではない。自衛隊、米軍の抑止力が、平和の支えとなったのである。

戦後の平和主義は、日本国憲法前文の「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」に象徴されている。憲法が制定された終戦間もない時期には、この空想的な前文も少しは受け入れられる余地があったが、今や状況は一変した。

 冷戦終結後、世界は新たな秩序を築きえぬままに、民族、宗教対立が激化し、内戦やテロが日常化している。不安定な情勢を好機とばかりに、ロシアはウクライナ南部クリミア半島を併合し、中国は南シナ海の岩礁を埋め立て軍事化を進めている。

 両国は「力による現状変更」の動きを強めている。さらに北朝鮮は、秋田沖のわが国の排他的経済水域にミサイルを撃ち込んできている。

 このように「諸国民の公正と信義に信頼」することが難しくなった以上、それを前提としていた憲法は、速やかに改正すべきである。憲法を守って国が滅んでは何の意味もない。

 中露などが力による現状変更を試みる一方で、同盟国の米国は世界の警察官の役割から徐々に降りようとしている。イスラム過激派による内戦、テロも収まる兆しがなく、世界はますます海図のない混沌とした状況へと進んでいるようにみえる。

 そういう中で、わが国に求められているのは平和のリアリズムである。戦後のわが国の平和と繁栄は、昭和天皇の終戦の「聖断」から出発している。「自分はどうなってもいい」という御覚悟は、連合国軍最高司令官のマッカーサー元帥との会見でも示され、元帥を感動させた。

 日本を救った「聖断」

 それとともに忘れてならないのが、昭和天皇が誰よりもリアリストであられたことだ。確度の高い情報を元に現実を直視されることで、存亡の瀬戸際にあって民族を滅亡から救われた。国の運命と国民の生命に対し最終的責任を負われる立場から、リアリズムによる決断をされたのである。