錦織選手準優勝、さらに成長して世界一達成を


 テニスの全米オープン男子シングルスで、日本の錦織圭選手が準優勝に輝いた。日本人選手初の四大大会シングルス優勝はならなかったが、日本テニスの歴史に大きな足跡を残したことを称(たた)えたい。

 粘り強く勝ち上がる

 偉業が期待された錦織選手だったが、チリッチ選手(クロアチア)の強力なサーブなどで攻められ、普段の力が発揮できなかった。アジアの男子選手としても初の決勝。本人にしか分からない重圧があったのだろう。錦織選手自身「自分のテニスができなかった」「緊張もあった」と振り返った。

 しかし、フットワークのよさと粘り強さが持ち味の錦織選手は、日本人のみならず、米国の観客も味方につけた。「ケイ、ケイ」と声援を浴びながらセンターコートに立つ姿に感動を覚えた人も多いだろう。

 1カ月前に右足親指の手術を受けたばかり。大会前の練習も思うようにできなかったが、大会が始まると世界ランキング1位のジョコビッチ選手(セルビア)をはじめ、強敵を次々と倒して決勝に進んだ。

 今季からコーチに就いた台湾系米国人のマイケル・チャン氏の影響も大きい。これまでの錦織選手は、試合展開の読みのよさから、難しいと思った試合を諦めることがあった。

 だが、チャン氏が指導についてからは、徹底した基礎練習と体力、メンタルの強化を図った。小柄ながらどんな球にも食らいついたチャン氏の精神力を受け継ぐように、錦織選手は全米オープンを粘り強く勝ち上がっていった。

 2試合続けて4時間を超える熱戦を繰り広げたことに、海外メディアも「マラソンマン」と称賛した。準決勝で敗れたジョコビッチ選手は錦織選手について「バックハンドは世界トップレベル」「隙のないオールラウンダーだ」と評する。

 近年の男子テニスは、ジョコビッチ選手をはじめ数人で四大大会の優勝を占めてきた。錦織選手とチリッチ選手の決勝は、新世代の台頭を感じさせた。

 さらに錦織選手の活躍は、日本テニスのすそ野を広げる意味でも大きな役割を果たした。

 1995年のウィンブルドン選手権でベスト8まで進んだ松岡修造選手が引退した後は、男子より女子の活躍が目立っていた。そんな中、錦織選手は中学2年で米国にテニス留学する道を選んだ。当初は言葉の壁や闘志をむき出しにする海外の選手に戸惑ったが、17歳でプロに転向すると着実に力を付けてきた。

 今後、錦織選手の活躍に刺激を受けた若手が続々と現れ、日本テニス界をさらに盛り上げることを期待したい。

 多くの人に勇気与える

 決勝後、錦織選手は「また決勝に戻ってきたい。優勝を目指してやりたい」と語った。まだ24歳。選手としてのピークはこれからだ。今回の準優勝で世界ランキングは自己最高の8位になった。世界一に挑む機会はまた訪れるだろう。

 日本人選手が大舞台で活躍する姿は、多くの人に勇気を与えた。決勝で勝てなかった悔しさを糧に、さらに成長して世界一の偉業を達成してほしい。

(9月10日付社説)