目覚めよ、沖縄県民(1) 琉球独立派に屈するな


 筆者はいま、沖縄出身として恥ずかしく、恐ろしいことをしていたと感じている。それは、沖縄生まれにもかかわらず、沖縄の歴史を知らずに過ごしてきたということであり、「琉球独立」という恐ろしい事態を招く可能性を秘めていると知らなかったのだ。本稿では沖縄の歴史について触れ、琉球処分については詳しく論述する。「琉球独立」が如何におかしく、そして、沖縄はわが国の一部であることを証明し、琉球独立論に対して反論していきたい。

 近年の沖縄問題といえば、アメリカ海兵隊普天間基地の名護市辺野古への移設である。しかし、この問題は単に安全保障上のものではない。尖閣を、沖縄を奪取しようと中華人民共和国(以下、中国)は画策している可能性があり、基地問題で沖縄県民の感情に反米と反政府を根付かせ、沖縄からの米軍基地や自衛隊基地の全面撤去を狙っている。それを確信できる「根拠」がある。

 まだ沖縄がアメリカの軍政下にあったころ、復帰運動を支援するとして中国共産党は、「沖縄祖国復帰運動」を「愛国反米闘争」として工作を仕掛けた。現在でも、人民網中国語版ウェブサイトに証拠がある。中国共産党新聞「毛沢東文集第八巻」の日本語訳を参考文献から引用し、紹介したい。

 「中国人民は日本人民の偉大なる愛国闘争を断固支持する。日本の人々が1月26日に開催した大反米デモは、偉大なる愛国運動である。中国人民を代表して日本の英雄の皆様に敬意を表明したい。

 最近、日本では、米国に対して大規模な大衆運動を開始し、米国のF105D型核搭載戦闘機と原子力潜水艦の日本駐留反対、すべての米軍基地の撤去要求と米軍武装部隊の撤退の要求、日本の領土沖縄返還の要求、日米安全保障条約の廃止、等々。すべてこれは、日本人民の意思と願望を反映している。中国人民は日本の正義の戦いを支援します。(以下省略)」

 このように、公式に中国は表明しているのだ。しかし、中国の工作は失敗し、米軍基地は沖縄に残ったまま、沖縄は日本への祖国復帰を果たすことになる。そこで、次なる一手として行っているのが、現在の「琉球独立工作」である。平成25年5月8日の「人民日報」(北京版)は、「歴史的に未解決の琉球問題を再び議論できるときがきた」と主張する論文を掲載した。沖縄は日本の領土ではなく、独立国家であったということを示唆している。さらに、同5月11日に、今度は「人民日報」傘下でその国際版にあたる「環球時報」が社説で、中国政府は琉球の独立を支援すべきであるという記事を掲載した。記事は、「日本が最終的に中国と敵対する道を選んだ場合は、中国は従来の立場を変更し、琉球問題を歴史的な未解決の問題として提出しなければならない」と述べでいる。そして日本への圧力の手順として、第1に「琉球問題に関する民間レベルの研究と討論を解放して、日本が琉球を不法占拠した歴史を世界に広く周知させること」、第2に「中国政府が琉球問題に関する立場を正式に変更し、国際会議などで問題提起すること」、第3に、それでも日本政府が中国と敵対する姿勢を変えない場合は「琉球国の復活を支持するべきである」と述べている。

 すると、それに呼応するかのように6日後の6月17日の「琉球新報」が社説で、沖縄独立について触れる。まるで「環球時報」が提起した通りにできたような「琉球民族独立総合学会」が発足したことを「学問的な、公的な言論空間の中で議論される時代に入ったのだ」と評している。また、独立を前提とした議論をすると述べていることにつき、「貴重な判断材料として提供してほしい」と期待を表明している。第一段階はすでに進んでいるし、中国のプロパガンダに呼応している。

 では、沖縄県内での世論はどうなのだろうか。保守系政治団体の幸福実現党の調査によると、「独立すべき」としたのは、たった全体の1%だという。そして、琉球新報社の調査でも、現行通り日本の一地域とするほうが、2011年時点で61.8%と、独立の4.7%を大きく上回っている。世論は惑わされていないのが現状だが、安心はできない。私のように、本稿を書くまで、沖縄の歴史の真実を知らない県民が多いなか、それを利用して、沖縄県内のメディアは「オルグ」していくだろう。また、親中勢力によりクリミア半島のロシアへの併合のような事態も考えられる。これを防ぐためにも、歴史認識は大切である。では、沖縄の歴史に触れていくこととする。

 1422(応永29)年に、沖縄本島にあった三山は統一され、琉球王国が成立する。王の座についたのは、尚氏である(第一尚氏)。40数年間、第一尚氏による統治は続くものの、クーデターが発生し、第二尚氏の時代へと突入する。この時代で、面白いことがある。それは、第一尚氏時代に「長寿宮」という天照大御神をお祀りした神社が、1451(宝徳3)年に建立されるのだ。

 1609(慶長14)年、薩摩藩が琉球征伐を行う。そこで、琉球王国は薩摩藩に属することになる。また、明とも朝貢関係にあるので、「両属」という関係になる。明治5年には、第一次琉球処分が行われ、琉球藩となる。そして、廃藩置県により、沖縄県が設置される。これが、第二次琉球処分だ。琉球処分といっても、実に平和的な「国内政策」だった。まず、琉球処分により殺害された者はいない。沖縄に入った日本兵も、わずか450人である。

 当時の琉球王である尚泰は、先進的な思想を持っていた。そして、彼の側近もまた、当時の国際情勢に精通していた。たとえば、「自ら進んで版籍奉還することが国益である」と首里王府に提案した侍講の津波古政正や、「琉球が生き延びるには日本の一部になるしかない」と考えていた三司官の宜湾朝保などだ。尚泰は、彼らから国際情勢を学んでいた。

 当時の国際情勢とは、日本も琉球も西洋諸国による侵略と植民地化の危機にあった。アヘン戦争で清が敗北(1842年)。日本は、それまでの鎖国政策から大転換し、海外との交流を始める。そして、明治維新後は、富国強兵政策に邁進する。それにより、日本は植民地化の危機から解放された。琉球もまた、同じような危機にさらされていた。そこで、日本による統治を選択したのだ。つまり、併合である。日韓併合のようなものとも捉えてもいいだろう。併合は植民地化ではなく、国際法上合法である。つまりわが国は、合法的手段によって琉球処分を行い、沖縄県を設置したのだ。

 ここで付け加えておきたいことがある。沖縄県民は科学的にも日本民族であるということだ。2014(平成26)年9月17日の沖縄タイムスの報道によると、琉球大学大学院医学研究科の佐藤丈寛博士研究員と木村亮介准教授らを中心とする共同研究グループは、琉球列島の人々の遺伝子を広範に分析したところ、台湾や大陸(中国大陸)の集団とは遺伝的繋がりはなく、日本本土に由来するというのだ。沖縄で「琉球民族の自己決定権」と唱える琉球独立勢力がいるが、そもそも「琉球民族」などは存在しない。存在するのは、日本民族としての沖縄県民である。琉球王国とは、日本人の一部が作った小王国であり、三世紀から四世紀にかけて大和朝廷により統合された出雲国や吉備国のようなものなのだ。琉球王国が日本に統合されたのは、歴史の必然といってもいいだろう。

続き:(2)「沖縄は中華系」との誤認識を改めよ

(日本大学通信教育部法学部政治経済学科3年)