翁長知事の琉球独立外交が始まった年


平成27年の沖縄政局の総括

仲村覚氏 平成27年という年はどのような年だったのか? 安倍内閣の経済政策や防衛外交については既に多くの識者やジャーナリストが総括しているので、チャイナや朝鮮の沖縄工作を監視・対策を専門に行っている筆者は、沖縄の政局をめぐる1年を翁長雄志知事と翁長知事を背後でコントロールしている勢力の視点から総括してみたいと思う。平成27年の沖縄の政局を一言で言うと、「翁長沖縄県知事の琉球独立外交が始まった年」といえる。

■国連演説の布石だった、政府閣僚との会談と訪米

 政府自民党の認識はそこまで至ってない可能性が高いが、翁長知事の琉球独立外交が始まったのは、4月5日の菅官房長官との会談からである。その時は「『粛々と』という表現が上から目線」という翁長知事の政権への痛烈な批判がマスコミを賑わせただけで、結局、平行線で何も進展がなかった。

 日本政府とは対立を先鋭化する一方、翁長知事は4月14日、日本国際貿易促進協会(会長・河野洋平元衆院議長)の訪中団と共に、北京の人民大会堂で李克強首相と面談し、中国と沖縄の交流の歴史について述べた上で、福建省と沖縄の経済特区の交流や、那覇―福州の定期航空便の開設を要望した。

 その3日後の4月17日、首相官邸で安倍晋三首相と初めて会談。翁長知事は「『老朽化したから、世界一危険だから沖縄が負担しろ。嫌なら代替案を出せ』と言われる。こんな理不尽なことはない」などと決まり文句の主張をするのみで平行線で終わり、何の進展も得ることがなかった。

 さらに続いて5月9日、沖縄県庁で中谷元防衛大臣と会談。中谷防衛大臣は沖縄の地理的重要性とスクランブル発進が5年前の5倍に増えていることを説明したが、翁長知事は全くこれを無視して、いつもの決まり文句を主張し、さらに「(日本政府には)自由と民主主義、人権という価値観を共有する国々との約束を実現する資格があるのか?」と前代未聞の政府批判の言葉を発言、これも平行線。

 結局、翁長知事は3人の政府の高級閣僚と会談し3回とも平行線に終わった。平行線に終わるには理由がある。翁長知事は最初から交渉する気がなかったのだ。

 その後も次々と琉球独立外交の駒は進められる。全国の労働組合の動員をして、5月17日には那覇市のセルラースタジアムで「辺野古移設阻止県民大会」が開催される。県民大会とは名前ばかりで、その実態は辺野古移設反対の左翼の全国大会が沖縄で行われたのである。そこに翁長知事が登壇。マスコミの大本営発表の成果を持って、5月20日に東京の日本記者クラブと日本外国特派員協会で記者会見。「独立」や「先住民」という言葉を決して使わないが、琉球王国時代の沖縄の歴史を強調し、沖縄が日本の植民地支配で差別を受けていることを印象づけた。

 その1週間後の5月27日、翁長知事は那覇空港を出発し、ハワイ、ワシントンを訪問。米国に“告げ口外交”を行う。訪米の成果は沖縄の新聞では、翁長知事を持ち上げて大きな成果があったかのように報道しているが、その実態は「まともに相手されなかった。」というのが真実である。

 しかし、「琉球独立外交」という目的を考えるとそれは失敗ではない。何故なら「辺野古移設中止を日本政府に訴えても米国の要人に訴えても無視され、沖縄の人権がないがしろにされている。こうなったら国連人権理事会に訴えるしか無い!」という大義をつくることができたからである。

 9月19日、翁長知事はそのシナリオどおりに国連人権理事会に参加するためにジュネーブに向けて出発。同月21日には国連の場では「独立」という意味も含んだ「民族の自決権」を意味する「self-determination」という英単語を使って「沖縄の権利がないがしろにされている」と発言。事実上、沖縄県民は日本の先住民だと国際発信した。

 このように翁長知事は、日本政府を含むチャイナ、米国、国連人権理事会とめまぐるしく足を運び、日本政府の辺野古移設は人権無視だと訴え続け、最後には国連の人権理事会で沖縄県民は日本の先住民だと発信したのだ。これら一連の動きを平成27年の4月から9月までのわずか半年間で実行したのだから驚きである。

■翁長知事誕生前から勧められていた琉球独立工作の全貌

 翁長知事の国連発言の本当の危険性は今年の一連の動きだけを見ていてはわからない。調べてみると琉球独立工作の先頭を走っていたのは日本の国連NGOによる「沖縄県民は先住民である」という国連の各委員会へのロビー活動である。

 7年前の2008年には既に国連の人権規約委員会から、「日本政府は琉球・沖縄の人々を正式に先住民として認め、文化や言語を保護するべき」との勧告が出されている。それ以降、国連の各委員会やユネスコでは「沖縄県民は日本の先住民だ」と認識されているのである。続いて2010年の尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件直後からチャイナ国内のメディアでは、「琉球人民は古来から中華民族の一員である」「琉球人は1972年の日本復帰直後から反日反米の独立運動を休むこと無く続けている」「中国人民は同胞である琉球人の独立を支援するべき」との報道が始まっている。つまり沖縄侵略準備のチャイナ国民への洗脳である。

 2013年5月15日には、「琉球民族独立総合研究学会」が設立され、沖縄県内から公式に琉球独立を主張する団体が設立され、中国でも大々的に報道された。翌2014年の8月と9月には、沖縄選出の参議院議員、沖縄社会大衆党委員長の糸数慶子氏が国連の人種差別撤廃委員会、先住民国際会議に琉球民族代表としてスピーチし、「沖縄県民は日米の異民族支配をされている先住民だ」と発言。

 同年11月24日、沖縄県知事選挙では、共産党、社民党、社会大衆党の革新政党が「辺野古移設反対」の1点で統一戦線を張り、元自民党沖縄県連の幹事長を務めた翁長氏を担いで当選させた。彼らは自民党の一部まで巻き込むことにより「オール沖縄」という言葉を使い県民一丸となった運動のように偽装し、「沖縄の自己決定権の回復」という言葉で沖縄県民を政府との対立に扇動し、その延長線上で、前述した一連の動きで、最後に国連人権理事会で演説を行ったのである。

 その結果、海外から辺野古移設問題を見ると、日本に強制併合された日本の少数民族である琉球民族が米軍基地の押し付けという差別に蜂起して国連に訴えに来た、というように見えるのである。

 このように翁長知事の実行したシナリオは知事に就任してから始まったのではなく、翁長知事誕生前から準備されていたのである。つまり、翁長知事の輩出とそれまでの国連へのロビー活動やチャイナ国内での中華琉球民族プロパガンダは別々の工作ではなく一つの琉球独立工作のそれぞれの一面だったのである。

■翁長知事の琉球独立外交阻止の反転攻勢をかける沖縄の地方議員

 しかし、沖縄の地方議員も座してみているだけではない。翁長知事が国連から帰国した直後の沖縄県議会では自民党会派の5人が翁長知事の国連演説を追及。翁長知事は照屋守之県議の「沖縄の自己決定権」の説明を求める一般質問に対し説明できず、結局「一般名詞」と答弁。その権利には何の法的根拠も無いことが明らかになった。

 また、照屋守之県議は10月30日、東京の外国人特派員協会で記者会見を行い、「翁長知事の国連演説は沖縄県民の日本人としての誇りを傷つけた」と謝罪要求を行った。さらに12月22日、豊見城市議会の本会議で、「国連各委員会の『沖縄県民は日本の先住民族』という認識を改め、勧告の撤回を求める意見書」が賛成多数で可決された。

 このように、既に沖縄の自民党会派の議員の多くが翁長知事の政治姿勢は単なる基地反対運動ではなく、沖縄の独立運動、すなわちチャイナの属国へと導く運動であることに気が付き、マスコミに叩かれることを恐れずに声を上げ始めている。この戦いは日本民族の存亡がかかった中国共産党との歴史戦の最前線である。

 筆者は来年、平成28年は、安倍政権VS反日勢力(中国共産党の走狗)の“関ヶ原の戦い”が行われる年だと認識している。そして、その決戦場は東京ではなく沖縄である。来年の沖縄の戦いを制するものが日本を制することになる。安倍首相、自民党政府にはそのような覚悟で来年を迎えていただきたいと願っている。

(沖縄対策本部代表)