沖縄県知事選、終盤で混戦

普天間移設、翁長氏は「県内」容認、「確認書」で明るみに

 任期満了に伴い16日に投開票される沖縄県知事選は、現職の仲井真弘多(なかいまひろかず)(75)=自民、次世代の党推薦=、前那覇市長の翁長雄志(おながたけし)(64)、元郵政民営化担当相の下地幹郎(しもじみきお)(53)、前民主党県連代表の喜納昌吉(きなしょうきち)(66)の4氏が立候補し、米軍普天間飛行場(宜野湾市)のキャンプシュワブ沖(名護市辺野古)移設問題を最大の焦点に終盤戦に入った。当初、「オール沖縄」を掲げ、辺野古移設反対を主張する翁長氏が優勢と見られていたが、ここにきて、「オール沖縄」の根拠としていた同飛行場の県内移設断念を求めた「建白書」が、全市町村長の総意ではなかっただけでなく、県内移設を容認していたことが判明。県内の首長らが翁長氏に強く反発しているほか、無党派層に辺野古移設容認した仲井真氏の現実的対応への支持が広がり、混戦が予想されている。(那覇支局・竹林春夫、豊田 剛)

沖縄県知事選、終盤で混戦

左上から仲井真弘多氏、翁長雄志氏、喜納昌吉氏、下地幹郎氏

 知事選告示日の10月30日、那覇市で出陣式を終えて向かった先は、現職の仲井真氏が宜野湾市、翁長氏が名護市辺野古と対照的だった。普天間飛行場の危険性除去に「現実的決着をつけたい」と決意する仲井真氏と「辺野古移設断固反対」が「オール沖縄」という印象づけを狙った翁長氏の違いが鮮明になった。

 「普天間の子供たちを救ってください」と書かれた横断幕を前に仲井真氏は開口一番、「普天間問題の解決が最優先課題。もう放っておけない」と3選出馬の動機を語り、「普天間の5年以内の運用停止をはじめ、地位協定の改定、基地負担軽減を政府が約束した」と問題解決に向けて現在動きだしている現実を強調した。

 これに対し、「100年、200年続く新基地を辺野古の海に造らせては、ウチナーチュ(沖縄人)の誇りが許さない」「知事選に勝利して、日本と米国政府に対抗しよう」と辺野古移設反対を訴える翁長氏。「辺野古移設を容認した知事を県民が許すわけがない。『建白書』に同意した『オール沖縄』でこちらが勝利するのは間違いない」と翁長陣営は終盤になっても強気の姿勢に変わりがない。

 しかし、「普天間飛行場の危険性除去、基地の整理縮小が原点」という考えは県内11市長のうち那覇と名護を除く9市長の共通の認識で、仲井真氏支持を表明している。仲井真氏支持の宜野湾市の佐喜真淳市長ら5市長は28日、那覇市内で緊急に会見を開き、翁長氏に対し、「オール沖縄」を出馬の大義とする「建白書」についての欺瞞(ぎまん)性を指摘した。

 佐喜真市長はこの中で、翁長氏が41市町村の首長および議長に「建白書」へ署名を求める際、保守系首長に「辺野古について我々は反対しても国の方針を変えることはできない。反対することで振興策が多く取れる」と発言したことを明らかにした。

 「建白書」とは、2012年10月に普天間飛行場に配備されたオスプレイの撤回および普天間飛行場の閉鎖と県内移設断念を求めたもので、県内の全市町村長および議長が署名。市町村長や議長は翌年1月28日、「東京要請行動」と称して都内でパレードと集会を開催した上で、安倍晋三首相に「建白書」を手渡した。

 南城市の古謝景春市長によると、東京要請行動の後、市長会(会長、翁長雄志那覇市長=当時)の意見をどうまとめるかが議題となり、9市長からは「普天間の危険性除去が遅くはならないか」との懸念が出たという。

 「建白書」は、オスプレイが配備された民主党政権末期に検討されたもので、宮里哲座間味村長は、「米軍基地の過重負担の軽減を求める沖縄県民の思いを尊重し署名した」が、政権交代後には建白書を見直すべきだとの意見もあって、「当時、(市町村長は)決して一枚岩ではなかった」と証言した。

 また、東京で用意された要請行動のチラシには、「沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック」や「ピースボート」などの極左団体が名を連ねたことを理由に、豊見城(とみぐすく)市議会の保守系会派は宜保晴毅市長に参加自粛の要請をした。

 さらに告示日後の11月2日、「建白書」に関して要請行動の3日前に石垣市の中山義隆市長が翁長氏らと交わした「確認書」の存在が明らかになった。

 「確認書」は、①実行委が提出する要望書などに市町村長の同意、署名などを求める場合は、事前に文言などの調整を十分に行う②中山市長は普天間基地の早期移設と周辺住民の危険性の除去を最優先と考えており、県内移設の選択肢を否定しない――などが明記されている。

 その上、「確認書」には中山氏、オスプレイ配備に反対する県民大会実行委員会事務局長の玉城義和氏、そして立会人として翁長氏が署名、押印しており、翁長氏はこの時点で県内移設を容認していたことになる。

 中山市長によると、実行委が「建白書」に署名押印を求めたため、署名押印の条件として「確認書」を作成した。一方、共産、社民、社会大衆党などの支持で立候補した翁長氏は9月13日の出馬会見では「安倍政権とは90%ぐらいは考えが一緒だと思う」と述べたが、主な政策として「三つのノー」(①辺野古の新基地建設・オスプレイ配備②不当な格差③原発建設)を打ち出した。これこそ「共産党の主張そのもの」(仲井真陣営)だ。

 さらに、翁長氏は10月16日に那覇市で開かれた共産党大会に参加し、次のように語っている。

 「志位(和夫)委員長から激励をいただき、本当にこれまでの政治活動が間違っていなかったと感じています。一緒に行動して本当に違和感がない。なぜもっと前から一緒にならなかったのか」

 保守系首長らは「(今から考えると)知事選挙目的の建白書だったのか」と、「根っからの保守」と自任しながらも革新に寝返った翁長氏に対して、「沖縄県政を共産党に渡してはならない。何としても仲井真知事の3選を勝ち取らなければならない」と危機感を強めている。

 「当初は相手陣営が優勢だったが、終盤になってこちら側が追い上げている。県民は基地問題で反対のための反対だけでなく、現実的解決策の重要性を理解してきているようだ」(仲井真陣営)。終盤になって、無党派層の流れが変われば、選挙の行方は予断を許さない。

 他の候補は、辺野古移設問題について、下地氏が「県民投票で終わらせたい」、喜納氏は「(埋立承認を)いかなる方法を取ってでも撤回する」と主張、全県を巡り終盤戦を戦っている。