凶悪事件をめぐる報道で「家庭の在り方」から目を逸らさせる左派紙

◆幼少期の家庭に問題

 「凶悪犯のほとんどが幼少期の家庭に問題があった」。これは元米連邦捜査局(FBI)主任捜査官のロバート・レスラー氏の指摘である(『FBI心理分析官』早川書房)。川崎市の児童殺傷事件と、その直後の元農林水産次官による長男刺殺事件のニュースに接したとき、レスラー氏のこの言が脳裏をかすめた。

 前者は51歳の引きこもりの男、後者は44歳の引きこもりの長男に暴力を受けていた父親が加害者である。それでメディアはもっぱら「引きこもり」に焦点を当てる。毎日は「引きこもり=犯罪やめて」(3日付)「ひきこもり『個人』に社会保障を」(6日付夕刊)などと連日、引きこもりを書く。むろん、それも重要だが、その前に「幼少期の家庭」はどうなっていたのか、紙上に掘り下げた記事はない。

 だが、レスラー氏の指摘は日本の凶悪事件にも当てはまる。2008年6月に東京・秋葉原で25歳の男が歩行者天国にトラックで突っ込み、ダガーナイフで通行人を次々と刺し、7人を殺害、10人に重軽傷を負わせた無差別殺人事件があった。

 このとき新聞は、男が派遣社員だったことから「派遣切り」「格差問題」に焦点を当てた。だが、国内には数百万人もの派遣社員がおり、その全てが犯罪予備軍になり得るはずがない。あまりにも皮相な新聞論調だった。

 男は幼少期に異様に甘やかされ、中学時代から親子関係がいびつになり進学高に入学するも挫折。その後、「負けっぱなしの人生」(男のブログ)となり、職を転々とし犯行に及んだ。明らかに「幼少期の家庭」に問題があった。元農林水産次官の長男も高校で挫折しており、似たような人生を歩んできたようだ。

◆動機は「憤怒」「怨恨」

 川崎市の男の場合も「幼少期の家庭」に問題があったのは間違いない。両親が離婚し、どんな事情があったのか、父にも母にも引き取られず、叔父夫婦に預けられた。想像するに男は「耐え難い愛の飢餓感」を抱いていたのではあるまいか。愛に飢える欲求不満感は「怒り」に転じ、それが通り魔殺人や自殺、とりわけ「拡大自殺」といった「破壊」へとつながる。専門家は少なからずそう見ている。

 家庭は「愛の学校」であるだけでなく、その裏返しで「憎悪と復讐の修羅場」ともなり得る。実際、2018年に全国の警察が摘発した親族間の殺人事件(未遂を含む)は418件に上り、殺人事件全体(886件)のほぼ半数(47・2%)を占めている。動機は「憤怒」「怨恨(えんこん)」が最も多い(共同通信5日配信)。

 親族間以外の残り半分の殺人事件は、憤怒や怨恨が他人に向けられたものだろう。そう考えると、「幼少期の家庭」の重要性がさらに高まる。こうした感情を抑える自制心や他人への共感性は「幼少期の家庭」で培われるとされるからだ。とすれば、殺人の大半は「家庭」の裏面と深く関わっている。秋葉原や川崎の事件のみならず、幼児虐待死もそうだ。つまり、家庭の在り方いかんによって社会は天国にも地獄にもなるということだろう。

◆共同の記事を伝えず

 それだけに共同の記事はないがしろにできない。ところが、中央のニュースを配信モノに頼る地方紙の大半が報じていたのに(6日付など)、不思議なことに在京紙は1紙も触れていない。「特オチ」なのか。それなら後追いがあってもよさそうだが、それもない。それほど「家庭」に関心がないのだろうか。

 今、家庭なかんずく「健全な家庭」が問われている。ところが、「健全」などと言おうものなら朝日や毎日の左派紙は一斉に噛(か)み付く。自民党が憲法草案に家族条項を盛り込むと、暗黒社会が到来すると言わんばかりに批判した。

 そんな延長線上で凶悪事件では「格差」や「引きこもり」に焦点を当て、家庭の在り方から目を逸(そ)らさせているのか。もしそうなら、これは「新聞という病」どころか、もはや「地獄の使い」である。

(増 記代司)