一党独裁の中国の裁判には沈黙し、民主主義国家の裁判はあげつらう朝日
◆弊害是正の本音忘却
裁判員制度が導入されて10年が経(た)った。殺人などの重大事件の審理に一般国民が裁判官と共に当たるが、なぜこの制度が採り入れられたのか。
新聞には「裁判への参加を通じ、司法に対する国民の信頼を高める目的」(読売19日付社説)とある。だが、これは建前にすぎない。「信頼を高める」は裏返せば、国民の信頼が地に墜(お)ちたということだ。裁判官による量刑と国民感覚の乖離(かいり)、恐るべき遅延裁判。そんな戦後裁判の弊害を是正する。それが本音だが、このことを新聞は忘却しているようだ。
司法の堕落を象徴する二つの裁判があった。一つは地下鉄サリン事件の「麻原裁判」だ。一審に約8年の歳月を要した(1996年4月~2004年2月)。公判257回、国選弁護士に報酬4億5000万円が支払われたが、死刑の回避を目論(もくろ)む遅延戦術に利用されただけだ。
控訴審も同様で、弁護側は特別抗告や再審請求を繰り返し、死刑判決が確定したのは06年、死刑執行は昨年7月、実に事件から22年も経ってからだ。
もう一つは光市母子殺害事件(99年)。残虐極まりない犯行だったが、加害者が18歳少年というので一、二審では死刑が回避され無期懲役。これに対して遺族は「犯罪被害者の権利確立」を訴え社会問題化。最高裁が裁判を差し戻し、死刑が確定したのは12年のことだ。
この裁判の弁護人も麻原裁判の一審で主任弁護人だった安田好弘弁護士らで、ここでも死刑廃止を唱え遅延戦術を繰り広げた。ちなみに現在も死刑未執行だ。これらは左翼弁護士グループによる裁判闘争で、公判ボイコットなど「ルール破り」を繰り返し、裁判所は戦後長く、これに屈した。
◆裁判闘争の旗振り役
裁判闘争の旗振り役が朝日だった。例えば、二つの裁判で正常化を図ろうとする裁判所に対して「相次ぐ裁判所の『強権』発動/異例の裁判打ち切り」(06年4月6日付)と、裁判所の方が強権、異常であるかのように書き立てた。量刑の正常化を求める世論には「厳罰化」のレッテルを貼った。
では今回、朝日はどう言っているのか。20日付社説は制度導入の本当の理由に一言も触れず、見出しは「司法と市民、鍛え合って前へ」と麗句を並べている。記事にはこうある。
「警察や検察が作った供述調書に頼らず、公開の法廷でのやり取りや客観証拠をもとに、検察が有罪を証明できているかを見きわめる。刑事裁判の本来の姿が、関係者の間で広く共有されるようになった。」
お笑い草である。警察や検察の「作った供述調書」とか、「検察が有罪を証明できているか」とか、裁判員制度が警察・検察への不信から始まったと言わんばかりだ。おまけに「容疑者・被告への過剰なバッシングや、人権や民主主義を語ることを揶揄(やゆ)したり、おとしめたりする風潮が強まり、世の中に暗い影を落としている」とも言っている。
◆邦人4人に重刑乱発
相変わらずの加害者擁護である。いったいどこに、過剰なバッシングや揶揄、おとしめたりする風潮があると言うのか、寡聞にして聞かない。そこまで加害者に寄り添うなら、共産中国で懲役15年などの重刑を立て続けに言い渡された日本人4人の「加害者」になぜ思いを馳(は)せないのか。
この中国の暗黒裁判に異を唱えたのは産経1紙だけだった(23日付主張「中国の邦人判決 重刑の乱発を見過ごすな」)。朝日は沈黙したままである(26日現在)。
ちなみに中国の刑事訴訟法107条は「重大な事件と微妙な事件」について裁判所長が「必要」と判断すれば、裁判所所属の「裁判委員会」に事件を回し、そこで審議と判決の決定を行うとしている。「裁判委員会」は司法機関を監督するために各裁判所に設置された共産党の下部機関のことだ(『中国の人権 政治弾圧と人権弾圧の実態』明石書店)。だから証拠が何一つなくとも平然と政治判決を下せる。
一党独裁の中国の裁判には沈黙し、民主主義国家の裁判はあげつらう。「正義人道に基いて国民の幸福に献身」(朝日新聞綱領)とは聞いて呆(あき)れる。
(増 記代司)