科学の暴走を暗に戒めるスリリングな内容の週刊朝日・池谷氏コラム

◆AIの優位性論じる

 脳研究者・池谷裕二氏の人間の能力をしのぐAI(人工知能)の威力について書いたコラムが面白い。

 AIは確かに人間の強敵だが、囲碁の興趣は、勝ち負けだけにあるのではない。盤上における人間の対局者同士の駆け引きにある―というのが、多くの見巧者の見解であるように思われるが、池谷氏はそんなことはたわ言だと言わんばかりなのだ。

 週刊朝日5月17日号の連載「パテカトルの万脳薬 AIの助けを借りて生命現象を探究!?」がそれ。

 囲碁AIが世界トップ棋士を退けたのは2016年。その囲碁AIの今について池谷氏は「囲碁は難易度の高いボードゲームで、かつては『21世紀中に名人に勝てるコンピューターソフトは現れない』とも予想されていました。とんでもない誤解です。AIの躍進で、むしろヒトのほうが囲碁の本質を理解できていなかったという恥ずかしい事実が露呈してしまいました」とAIの全般的な優位性を断じている。

 さらに「囲碁や将棋を習っている幼稚園児の対局を見ると、原始的な手筋のうちで戯れているように感じられます。ドングリの背くらべなので、それなりに『ゲーム』としては成立し、対局を楽しんでいるように見えます。AIからみたプロ棋士の対局は、そんな滑稽な風景なのでしょう」と。人間とAIの差について、ここまで言うかと、驚きだ。

 とどめは「ヒトは自分が知っているものは『知っている』と気づきますが、知らないものについては、何をどこまでどう知らないかを知ることができません。『無知さ』に気づく契機がない以上、謙虚になろうにも術がありません。こうして私たちは自信過剰なピエロになってゆきます」と続ける。

 かの哲学者ソクラテスは、「無知の知」を唱え、傲慢になりがちな人間を戒めた。その種の高踏的な哲学の内容を想起させる池谷氏の言い回しだが、囲碁AIについての説明は分かりやすく、なるほどと思う内容だ。

◆技術変化は時々刻々

 実はこれは序論の部分で、コラムでは生命現象を探求する科学においても、人間は「自信過剰なピエロ」になっているとして、ノースウェスタン大学のステジャー博士ら論文「なぜ重要な遺伝子が無視されるか」(題目)のさわりを紹介している。

 人間の遺伝子は1万9千個あるが、博士らは「(そのうち)ごく一部しか着目されてこなかった」と指摘。その遺伝子の評価基準が「真に重要か」ではなく、「(研究者にとって)理解しやすいもの」だけが研究対象として重宝されたからだと言うのである。

 そのため今後、この分野にもAIが大いに関与し、人間の姿をより明らかにする余地が多くあるとして、「ああ、恥ずかしい。最近はAIの助けを借りながら、生命現象を探求するアプローチも増えてきました」とコラムを締めている。

 今日の科学技術は、研究↓技術開発↓実用化(商品化)という流れで確立されてゆき、テーマによっては、そのサイクルがずいぶん早くなっている。一般の人は、刻一刻と進歩する研究の成果や生の科学的知見をなかなかつかみにくい。そこで登場したのが「科学コラム子」。池谷氏や生物学者の福岡伸一氏の文がここ数年、週刊誌上で光彩を放っている。

◆7年以上の長期連載

 週刊文春4月25日の生物学者福岡伸一氏のコラムでは「シナプスが連結する音」と題し、今盛んに論じられるAIのディープラーニングの原型と見なされる脳のシナプスの働きや構造について、これも平易に論じられている。

 先の池谷氏の連載は7年以上、福岡氏のは10年以上の長期連載となっており、昨今の週刊誌記事では異例の息の長さ。各週刊誌の看板コラムだ。気楽に読める内容だが、科学者の責務を追及し、科学の暴走を暗に戒めるスリリングさがうかがえるところが人気の秘密か。

(片上晴彦)