現役医師が「医療費高すぎ国家を危うくする」と警鐘鳴らす新潮連載

◆75歳以上は緩和医療

 週刊新潮に連載の『医の中の蛙』86回(4月11日号)で、執筆者の医師・里見清一氏が「医療費が高すぎて国家を危うくする」という趣旨の持論を展開している。年金や医療費などの社会保障費の増大が続いているが、最近、メディアから以前ほど、なぜか、国家財政への過度の負担を危惧する声が聞こえてこない。そんな中、現場の医師が、「高額薬は国家を破綻させる」「75歳以上は延命治療でなく緩和医療を」と訴えている。

 これらは里見氏の従来からの主張で、それに対し「高額治療はその都度コントロールされ(中略)オプジーボの薬価も下がったではないか」という反対意見も少なくない。

 これについて里見氏は「オプジーボ以外の新薬も続々登場し、かつ、併用で使われるのが主流となって、『癌治療薬剤費』としては相変わらず非常な高額である。実際に、その負担に耐えかねて、健保組合は次々と解散している。保険料をいくら上げても追いつかないのだ」と、“高額治療のコントロール説”を否定している。楽観的過ぎるというのだ。

 その上で「医療費がコントロールされ、そんなことをしなくても済む方が良いに決まっていると、私だって思う」と一歩引くが、これがなくならない最大の理由は「我々自身の側にあって、医者の無駄遣いがなくならないからである」と。「医者はコストを考えずに、患者の治療ができる」と教育されており、「倹約の精神など出てくるはずがない」という。

 後者の「75歳以上は延命治療でなく緩和医療を」について、少子高齢化の現状に厳しい目を向け、「間違いない事実として、2016年度の国民医療費は42兆円、うち75歳以上の高齢者分は15兆円である。厚生労働省は、医療費は2040年までは上昇を続けるが、あとは大丈夫だという。その推計に使ったかなり楽観的な前提は措くとして、その時には勤労世代は今より激減しているはずであるが、誰がそのコストを支えるのか」と突いている。

 議員やシンクタンクの人たちに問えば、必ず「『このままでは保険医療制度も、国家財政も、危ない』との答えが返ってくる」という。「将来世代のために、現世代の誰かが不利益を被るような改革は必要なはずである」と断じている。正論である。

◆見えぬ保障の全体像

 里見氏は、守備範囲である医療分野について言及しているが、社会保障の全体を探る目も重要だ。日本では、医療なら医療、年金なら年金、福祉なら福祉という具合に、各分野がばらばらに論じられていて、社会保障の全体的な将来像がまるで見えてこない。改革が一定方向に進んでいかないゆえんだ。

 従来、経済が伸びない中で、国は何とかやりくりしていたが、少子高齢化が進み、各世代が担う経済的負担の重さに一貫性がなくなっている。従って、これからは「公平とは何か、平等とは何か」という原理原則的な問題が真正面から問われる。

 従って、高齢者医療費の在り方についても、当然問われるべき時期に来ている。「75歳以上は延命治療でなく緩和医療を」というのは、多少、唐突感があるが、あくまで改革推進のスローガンとして、これをたたき台に議論を進めていくべきだ。

◆続けるべき医療保障

 医療は、市場任せにし、価格を自由に設定されると、所得の低い人はそのサービスを受けられなくなる恐れがある。しかし一方、医療、具体的には病院の質を国民がきちんと定められるように、競争原理の導入が求められている。劣悪な医療、診療所は排除されるべきだが、公的な下支えという形で、医療保障は続けていくべきであろう。そのさじ加減こそ重要だ。

 今のうちに国がどこまで社会保障に関与すべきで、どこからは国民に任せるべきなのかといった公私の役割分担をきちんと設定しておかなければならない。

(片上晴彦)