代案も示さず専守防衛のお題目を唱える左派紙の無責任な空想的平和主義
◆空母保有論に物言い
政府は新たな「防衛計画の大綱」を年末に閣議決定し、中国や北朝鮮の軍事脅威に備えようとしているが、これに左派紙が噛(か)みついている。
東京は10月29日付社説で「国際情勢の変化に応じて防衛力を見直すことは必要だ。しかし、他国に脅威を与える装備を買いそろえたり、防衛費を際限なく増やすことで、憲法の趣旨である『専守防衛』を逸脱してはならない」と言う。
朝日は30日付社説で「歴代内閣が否定してきた空母の保有に向け、安倍政権が一線を越えようとしている。専守防衛からの逸脱は明らかで、認めるわけにはいかない」と空母保有論に異を唱えた。
政府は新大綱で海上自衛隊の護衛艦「いずも」に米国製ステルス戦闘機F35Bが離着陸できるよう「空母化」する方針を盛り込む考えだが、朝日はこれを専守防衛からの逸脱と決めつけている。
どうやら左派紙にとって「専守防衛」は金科玉条のようだが、その解釈はご都合主義だ。軍事的に専守防衛という用語は存在しない。戦後日本の政治スローガンで、日本は戦前のような「侵略国家」になりません、その証拠に専守防衛に徹しますという意味合いのものだ。だが、国際安保環境は激変した。
振り返ってみると、専守防衛が初めて防衛白書に登場したのは1970年版だ。「専守防衛の防衛力は、わが国に侵略があった場合、国の固有の権利である自衛権の発動により、戦略守勢に徹し、わが国の独立と平和を守るためのものである」とした。
ここにある戦略守勢はれっきとした軍事用語で、全般的に守勢であるが部分的な戦術的攻撃は含まれると解釈される。だから専守防衛が戦略守勢と同義語なら、部分的な敵基地攻撃は容認されるはずだ。
◆必要最小限も敵次第
実際、かつて政府は「侵害の手段としてわが国に対し、誘導弾などによる攻撃が行われた場合、座して自滅を待つというのが憲法の趣旨ではない。誘導弾などの基地を攻撃することは法理的には自衛の範囲内であり、可能である」(56年2月、鳩山一郎首相答弁)としていた。
ところが、旧社会党や共産党から執拗に追及され、84年防衛白書では①自衛権の発動は必要最低限の実力行使にとどめる②他国の国土の壊滅的破壊に用いられる兵器(例えば大陸間弾道弾=ICBM=や長距離爆撃機)は保持できない③防衛力を行使できる地理的範囲はわが領域に限られるわけではないが、武装した部隊を他国領土、領海、領域に派遣することは憲法上許されない―とした。
これが今日の専守防衛だが、中身は玉虫色だ。必要最小限の自衛力は「敵」の攻撃力によって変化するし、部分的破壊なら容認される。武装した部隊でなければ、例えば敵基地攻撃は可能。そんなふうにも読めるからだ。
2003年に国会で武力攻撃事態法など有事関連3法が審議された際にも専守防衛と敵基地攻撃の整合性が問われたが、小泉純一郎首相(当時)は「はっきりと侵略の意図がある、組織的、計画的意図がある。それをまず日本国民が被害を受けるまで、それがわかっていながら何もしないわけにはいかぬだろう」(03年5月、参院特別委)と述べている。
◆あり得る敵基地攻撃
敵が侵略しようとすれば敵基地攻撃もあり得る。これは国民を守るためには当たり前の発想だろう。保守紙もその見解に立ち、左派紙とは真っ向から異なる主張をしている。
読売24日付社説は「新たな脅威に的確に対処するため、旧来の発想にとらわれることなく、防衛力を着実に整備することが重要である」とし、産経26日付主張は「『積極防衛』政策へ転換し、日本攻撃をためらわせる懲罰的・報復的抑止力として『敵基地攻撃能力』の整備を始めてほしい」と安倍政権に注文している。
左派紙は現実を見詰めるべきだ。前記社説で東京は「国際情勢の変化に応じて防衛力を見直すことは必要だ」とし、朝日は「強引な海洋進出を進める中国への対処は必要だとしても、空母には空母で対抗するような発想は危うい」と言った。
それならば、どんな防衛力と発想が必要なのか。代案も示さないで専守防衛のお題目を唱えるのは、どう見ても空念仏、無責任な空想的平和主義のそしりを免れまい。
(増 記代司)