“言い訳”に終始し“懐柔”を図る新潮「太田光の日大裏口入学」問題第2弾

◆新たな“証言”はなし

 「『爆笑問題』太田光の日大裏口入学」問題を週刊新潮(8月30日号)が再び取り上げた。前号(8月16・23日号)で“裏口入学”の経緯を報じたのに対して、太田がラジオやテレビで激しく反発、反論したことを受けたものだ。

 しかし、今回の内容は「笑い飛ばせばそれで良かった」じゃないか、の一言に尽きる。前号の記事を補完したり、さらに新しい“証言”が加わっているわけではない。「週刊新潮バカ野郎この野郎てめぇ…」という太田のあまりの剣幕に編集部も面食らったのか、「いやいや、お笑いで返してくれればよかった」「まあまあ、そう興奮せずに」と言っているように聞こえる。

 前号の記事では太田の父が太田本人にも分からないように「裏口入学ネットワーク」を通じて、日本大学芸術学部に太田を合格させた経緯が書かれている。なので、太田も「実力で受かった」と思っている、というのだ。

 だが、新潮としてはそうではない傍証として、高校の進学傾向や本人の成績などを挙げ、日芸合格は難しいと結論付けていた。大学側もこのままでは合格させることはできないとして、入試前に「日大の現役教員が太田を直接指導して本番に臨むという『缶詰作戦』が発案された」という話まで伝えている。

 ところが不合格判定。「ゲタの履かせようがなかったんです。いや、履かせる足がなかった」という成績。そこで「太田ひとりを合格にするとあまりに露骨なので、補欠合格者として他にも5~6人くらい一緒に名を連ねることにしたのです」という。太田の“お陰で”合格できた学生もいたのだ。

◆主張変えず逃げ道も

 新潮は太田が「敬愛して止まぬ立川談志が、落語を“業の肯定”と定義した」ことを太田本人が書いていたことを想起させる。「しょうがねえなあ、人間だからなあ」と「人間の業を肯定してしまうところに、落語の物凄さがあるのです」という談志の言葉まで添えた。

 つまり、新潮は「裏口入学はあった」という主張は変えていない。むしろ、それを否定したり反発したりせず、「しょうがねえなあ、人間だからなあ」と受け流せばよかったし、「いちいち怒っていたらダメ。笑わせたら勝ちなんです」(演芸評論家の吉川潮)と、太田の反応をたしなめているのだ。

 その一方で“逃げ道”も用意している。「文科事務次官を有力視される局長が、あろうことか息子の裏口入学の対価に血税を充てていた。この東京医大は女子や浪人回数の多い受験生は押しなべて減点していたわけだが、太田の場合は代わりに誰かが不合格になるどころか、5~6人をごっそり合格に導いている。各々が入学金や授業料を納めたはずだから、大学もそれなりに潤った。同じ裏口でも特捜検察のターゲットとなった東京医大の一件とは全く別の話」として太田のケースに“実害”はないと“慰めて”いるのだ。

 さらに、「AO入試などの、形を変えた『裏口』の制度導入が続き、何をもって裏口入学とするのか、その定義が以前のようにハッキリしたものではなくなっています」(作家の佐藤優)と裏口の後ろめたさを薄めようとし、「私大の裏口は程度の問題で、民間企業のコネ入社ともよく似ています」(評論家の呉智英)と話を社会にまで広げて一般化し、太田の反応が過剰だったように見せている。

◆笑いでの逆襲を期待

 新潮はいわば“言い訳”に終始し、さらに証拠・証言を追加して、太田を追い詰めようということではないらしい。「事実の争い」に持ち込みたくないのだろう。新潮としてはこれをもって手打ちにしてほしい、というのが記事からは伝わってくる。

 週刊誌に「お笑い」を説教された格好になった太田側がこれを受けるかどうか。そもそも太田は裏口を完全否定している。振り上げた拳をどう振り下ろすのか。新潮の“懐柔記事”に応えて、不問に付すのか。

 この際、「裏口入学」を今年の流行語大賞にノミネートさせるぐらいの勢いで、ネタにして、新潮の記事を逆手にとって笑いを取った方が“勝ち”だろう。「アメフト」や「理事長」で話題になっている日大。どうも対応や危機管理が裏目に出ているが、太田光がその手本を見せてはどうだろうか。(敬称略)

(岩崎 哲)