家族に関わる問題で「家庭再建」に沈黙する産経と正論を吐く朝日の「声」
◆45周年迎えた「正論」
産経オピニオン面に「正論」と題する論壇がある。スタートしてから45周年を迎えたというので、6月25日付に特集が組まれていた。執筆陣の一人だった作家の曽野綾子さんが「45年前頃の空気を知る人は、今や少なくなってしまった」と述懐している。
「戦後の日本は、思想的にも、表現上も、自由に解放されたと国民の多くは思っていたが、実はそうでもなかった。戦争中に軍部の言いなりにならなければならなかった日本のマスコミの多くは、今度は左側に舵を切った。その頃の総合雑誌を調べれば、中国または北朝鮮が理想の国家形態に近いと書いた人たちの文章を、容易に発見することができるだろう」
45年前とは1973(昭和48)年のことだ。前年に田中角栄内閣が登場し、日中国交・台湾断交を行い、革新自治体ブームにも沸いていた。それを牽引(けんいん)したのが「朝日言論」だ。危機感を抱いた自民党若手タカ派が「青嵐会」を結成し、産経は「正論」を立ち上げた。ちなみに本紙の創刊は2年後の75年。
産経特集に「歴史を彩る正論50選」の年表が載っている。村松剛、田中美知太郎、会田雄次、猪木正道、福田恆存、高坂正堯…、そうそうたる顔触れが並んでいる。
◆香山健一氏の「警鐘」
この50選にはないが、筆者の手元には産経が2008年に正論欄35周年を記念し「珠玉の論稿」として再掲した香山健一氏(当時、学習院大教授)の切り抜きがある(74年10月8日付)。タイトルは「『家庭再建』は国民的課題」。
その中で香山氏は「家庭の再建なくして地域社会の再建もコミュニティづくりも社会連帯の回復もありえない。血縁的人間関係すらも大切にできない人間が、地域的な人間関係を真に育くめるものとは思えないし、心のかよいあうあたたかい人間関係からなる社会を再構成できるものとは思えないからである。家庭の再建――これこそ昭和五十年代の日本人の国民的戦略課題でなければならない」と述べている。
再掲した産経紙面(08年10月5日付)には「戦後四半世紀を経た昭和40年代後半の日本は驚異的な経済復興を遂げ、多くの国民は物質的な豊かさを実感できるようになった。…だが、香山氏は、その奥深くで日本人の精神的、道徳的生活の崩壊が『地崩れのように続いている』と警告し、日本の伝統的な家族観に根ざした『家庭の再建』を訴えた」との解説がある。
香山氏の訴えは78年に首相になった大平正芳氏に届き、同内閣は「家庭基盤の充実」策を打ち出したが、いかんせん短命に終わった。その後、日本はバブル経済に酔い、家庭の意義よりも個人の欲望を重視するようになった。バブル崩壊後も家庭を顧みず、それで国難と言える超少子化を招いたのではなかろうか。
その意味で香山氏の正論は今日の日本への警鐘として十分通用する。家庭再建の意義は産経も承知しているはずだ。13年4月に発表した産経改憲案(「国民の憲法」要綱)は「家族の尊重規定の新設」を掲げていた。
◆二階発言支持の投書
だが、昨今の家族をめぐる論調はいささか心もとない。6月に掲載された「主張」で家族と関わりがあるのは岡山女児殺害、目黒女児虐待死、成人年齢、出生数3万人減など6本あったが、いずれにも「家庭再建」の文字はない。「正論」でも扱われない。
自民党の二階俊博幹事長が少子化問題で「子供を産まない方が幸せというのは勝手な考え」と述べたが、朝日6月29日付社説は「『産めよ』の発想の罪」と伝統的家族観を徹底批判している。これにも産経は沈黙だ(7月2日現在)。
意外なことに朝日30日付「声」欄に「子を産んで国栄える、正論では」との見出しで北海道の65歳男性の投書があった。「幸せになるために子どもをたくさん産んで国も栄えるとの考え方は、政治家が指針とすべき正論であり、『子女に普通教育を受けさせる義務』を定め、社会の宝として子どもを尊重する憲法の理念にかなう」「社会が子どもを産むことを多としない価値観なら、社会の存在を否定するのと同じ」と歯切れがいい。
朝日の「声」が正論を吐き、産経が沈黙では洒落(しゃれ)にもならない。これでは正論45年が台無しではないか。
(増 記代司)





