児童虐待防止で家庭支援と調査機関の分離を提案する護憲学者の木村氏

◆先人の知恵を生かす

 最近、若手の護憲学者として頭角を現してきた木村草太氏(首都大学東京教授)が目黒区の女児虐待死を受け「強制力を持つ調査機関が必要」と論じていて興味を引かれた(沖縄タイムス6月17日付)。国家権力に懐疑的な護憲学者が強制力を唱えていたからだ。

 女児は香川県に在住中に児童相談所(児相)から2度の一時保護処置を受け、父親は傷害容疑で書類送検(不起訴)されていた。昨年12月に目黒区に転居し、香川から連絡を受けた品川児相が今年2月に家庭訪問を行ったが、面会を拒絶され3月に死亡した。児相は警察に通報し強制的に保護できなかったのか、警察との連携が問われている。

 それで木村氏は、児相は児童虐待をする家族への支援も担っており、この任務を果たすために家族との良好な信頼関係を築く必要があり、親の意向を踏みにじって強制措置を取ることに躊躇(ちゅうちょ)すると指摘。児童の安否確認の重要性を考えるなら、継続的に家庭支援を行う機関と、虐待の有無を調査する機関を切り分け、後者に強制力的な調査権限を付与すべきだとしている。確かに家庭支援と強制調査の両者をうまく機能させれば、虐待死を防げるかもしれない。

 この論に接して江戸中期の米沢藩主、上杉鷹山を思い出した。鷹山は領内の各地域に「教導出役」と「廻村横目」の2人の役人をペアで配置した。出役には「地蔵の慈悲を主とし、内に不動の憤怒を含むべし」と行政を担当させ、横目には「閻魔(えんま)の憤怒を表し、内に地蔵の慈愛を含むべし」と警務を担当させた。

 なにゆえにそうしたかと言うと、鷹山は養子で家督を継いだ際、春日大明神に誓詞を奉納し、「受け継ぎて 国の司の身となれば 忘るまじきは 民の父母」と詠んだ。それで父母の「代身」として2人の役人を配置した(内村鑑三『代表的日本人』)。

 家庭支援と強制調査の役割分担はこういう先人の知恵を想起させる。児童虐待の防止策に生かせるかもしれない。安倍首相は再発防止策を検討する関係閣僚会議で「痛ましい出来事を繰り返してはならない。政治の責任において抜本的な対策を講じる」と述べているが、抜本的対策がどんなものか注視したい。

◆都に丸投げする朝日

 新聞には対策があるのだろうか。産経8日付主張は「児童虐待防止法や児童福祉法の改正で、家庭に強制的に立ち入る手続きが簡略化され、警察官の同行も求められるなど、児相の権限は強化されている。だが、その運用に躊躇があっては、救える命も救えない。虐待が疑われる親からは、まず子を引き離すことだ」と横目さながら閻魔の憤怒を著している。

 これに対して毎日18日付社説は「虐待を繰り返す親には一時保護を解除した後も専門的な支援が継続されなければならない。こうした実務を担うためには経験を積んだ職員が必要」とし、「専門職の大増員が必要だ」と出役の慈悲に力点を置いている。

 一方、朝日9日付社説は「残されたノートに誓う」というが、誓いの中身がない。「有識者でつくる都の児童福祉審議会などで、事実の経緯と関係者の認識を解き明かし、教訓を導きだしてもらいたい」と解決策を都に丸投げしている。読売17日付社説「悲痛な心の叫びを忘れまい」も「実効性ある対策を講じてもらいたい」と注文するだけだ。

◆「内なる規範」顧慮を

 では、安倍首相が求める「抜本的な対策」は奈辺にあるのだろうか。昨年8月、全国の児相が対応した児童虐待の件数が12万件を超えたと発表された際、朝日は「死亡事例を検証した専門委員会の委員は『予期しない妊娠による虐待死が多く、妊娠期から切れ目のない支援が必要』と指摘」していると報じた(8月17日付夕刊)。

 目黒の事例を見れば、妊娠期どころか、結婚までさかのぼって支援が必要だと痛感させられる。児童虐待の芽を摘むには、性の在り方(性倫理)や結婚観、家庭観まで問わざるを得ない。本紙18日付社説が「今こそ家庭教育支援法が必要だ」と言うように家庭支援の包括的取り組みこそが「抜本的な対策」ではないか。

 鷹山も言う、「一家の内、男女正しきが基本なり」と。護憲論者の木村氏は強制力だけでなく、「内なる規範」も顧みてはどうか。

(増 記代司)