「劣化する伝統宗教」寺院・神社界の“暗部”を暴き出すダイヤモンド
◆頻発する生臭い事件
近年、“終活”という言葉を頻繁に聞くようになった。人口減少による高齢化社会の中で、人生の最期をどのように迎えるか、を真剣に考える人が増えたことによるのだろう。そもそも終活とは、読んで字のごとく人生の終わりについての活動ということだが、「自己の死」と向き合いながらも残された人生をいかに生きるか、を考えること。いうなれば終活は「死」よりもむしろ「生」への積極的なアプローチとも言える。
ところで、人の生死、生き方となれば、そこで大きな役割を果たすのが人生の道を説く宗教、いわゆる神社、寺院、教会の役割ということになる。ただ、この業界、結構生臭い事件が頻繁に起きているのである。
その宗教界の“暗部”を週刊ダイヤモンドが3月24日号で特集している。そこには「劣化する伝統宗教 神社・仏教大騒乱」といった見出しが躍る。経済誌が何で宗教問題を特集するのか、という疑問が湧くが、これまでにも経済各誌は年に1回ほどのペースで宗教がらみの特集を組んでいる。それは国内宗教に限らずキリスト教やイスラム教といった世界的な宗教の動向について取り上げることもある。むしろ、世界で起こる紛争や戦争の背景には宗教的な要因が色濃く反映されているケースが多々あることから、それらを特集するのはごく自然のこと。
例えば、週刊エコノミスト3月27日号を見ると、2月21日に昇天した米国のキリスト教大衆伝道師ビリー・グラハム師に関する記事が掲載されている。記事内容は同師が傑出したキリスト教指導者であること、米国政界にも大きな影響力を与えていたこと、同国の白人キリスト教福音派が共和党の強力な支持母体になっていること、それでも同派の勢力が1970年代に比べ半減していること―などを記しているが、面白いのは執筆者が井上祐介・丸紅ワシントン事務所シニアマネジャーという商社の人であるという点だ。商社マンであるにしても単に産業・経済動向だけでなく宗教界にもしっかりと目を向けているという点はさすがという感じだ。
◆寺の存在意義が低下
ところで、本題のダイヤモンドの特集に関して言えば、井戸端会議的な内容が多かったという印象は否めない。昨年12月、富岡八幡宮(東京)の女性宮司が親族から殺害され話題になったが、同誌はそれを取り上げている。つまり事件直前にインタビューした内容を掲載しているのだが、内容は富岡八幡宮が神社本庁(全国の神社8万社を包括する宗教法人組織)から離脱する経緯について話し、その理由として神社本庁の高慢さを挙げるなど内部告発的なものになっている。
一方、仏教界については米国最大のウェブサービス会社アマゾンなどの出現で経営が窮地に立たされている寺院の現状を描く。これまで仏教界に対して国民は戒名や法要などでその料金にある種の不信感を抱いていた。そうした国民の不満に応えるように大手スーパーのイオンやIT業界のアマゾンなどはサービスに応じた価格を設定した上で僧侶を派遣するサービスなどを行っている。こうした部外者の営業が寺院の運営を苦しめている。
全日本仏教会は「宗教行為としてあるお布施を営利企業が定額表示することに一貫して反対してきた。お布施はサービスの対価ではない。同様に戒名、法名も商品ではない」と訴えているが、消費者の理解は得られていないようだ。むしろ、高齢化によって多死社会が到来しつつあるにもかかわらず後継者がいないなどを理由に“墓じまい”してしまう人が増加。寺の存在意義がますます低下しているという。
◆宗教者の自省が必要
かつて寺や神社は地域コミュニティーの中核的な存在であった。駆け込み寺という言葉があるように、困った時の相談所のような役割を担っていた。
神道学者で日本の神道文化研究会主宰の三橋健氏はダイヤモンドで次のように語っている。「地方に鎮座する神社の『主』である神主さんは、その地方の宗教文化、さらには歴史と文化を継承する霊的な存在なのです」と前置きし、さらに「神主さんはそのことに誇りを持ち、『世のため、人のため』よりも、まず『神のため』にご奉仕することが重要だと思います。(まず神のため奉仕することにより)、おのずと神主さんに『権威』がついてまいります。神社界で大切なのは、権力よりも権威だと思います」と諭す。
もっとも、品格もないのに「権威」をやたらに振り回す“聖職者”が今の宗教界には多いといった指摘もある。宗教者はまず自らを見詰め直すことから始める必要があるということなのだろう。
(湯朝 肇)