明治維新150年の回顧で負の部分を前面に出し解説するアエラ特集
◆和魂洋才の楽観主義
今年は明治維新から150年。アエラ3月12月号は「明治150年と言わないで」のタイトルで特集を組んでいる。
その中で政治学者の姜尚中さんが、今年各地で開催予定の記念行事や「明治の精神」について「端的に言えば、歴史を回顧して往時をしのぶ国家的な行事にとどまるものではなく、日本がどんなにすごい国家なのかというメッセージに尽きます。愛国心の鼓舞とともに国家を中心とした『和魂洋才』のオプティミズム、つまり楽観主義をふりまこうとしているのだと思います」と話している。
その上で「その和魂洋才のオプティミズムを吹き飛ばすほどの悲劇をもたらしたのが、東京電力福島第一原発の事故だった。戦後の負の側面というより、日本近代化の負の側面が現れた」と続ける。
姜さんは原発事故の後、現地を訪れ「近代国家の酷薄さ」を感じ「(国家の)無機的な権限や法律、官庁の抽象的な相貌(そうぼう)だけが見えて」きたという。「人が住まなくなり、ゴーストタウンと化した町、自分たちは国に捨てられた『棄民』だと語った酪農家」などにも出会った。「150年にわたる、一つの近代日本の積み上げられてきた歴史のある局面、影の部分が現れた」ものだと考察している。
◆復興の力こそ注目を
果たして、原発事故は和魂洋才の楽観主義によってもたらされたのか。ここはまず、日本の原発の歴史について言及しておかねばならない。
世界で唯一の被爆国の日本が、戦後、なぜ原子力を選択したか。長崎で被爆した直後の医者・永井隆の「原爆は決して許せない。このエネルギーを平和のために使わなければならない」という宣言が、日本の原子力開発の原点を非常に明確に語っている。1955年には永井の精神を生かした原子力基本法が制定された。
原子力の平和利用は「第2次大戦の愚を繰り返してはいけない。今後、科学技術によって自分たちで資源を得るのだ」という永井の決意を映し出している。エネルギー資源の少ない日本は科学技術先進国として生きざるを得ないという国民的合意が元になっている。
また原発事故については、事故が発生した際の対応策について、十分な検討がなされていなかったためだ。今日、航空機設計・運航などの安全管理において、世界的には事故を減らす努力とともに、逆説的であるが事故は必ず起きるという認識が下敷きになっている。不具合(バグ)のまったくない巨大ソフトウエア・プログラムや、損傷のない機体構造は存在し得ない。それを見据えたセーフガードの設計となっている。
ところがわが国では、これまで原発施設の完全な無謬(むびゅう)性を言い立てなければ原発の立地が難しく、現実的な安全管理の手法の追究が十分でなかった。事故が起きたのは欧米諸国の危機管理の常識を受け入れていなかったためだ。
確かに事故直後の国の対応に「官庁の抽象的な相貌だけが見え」たという、姜さんの指摘に妥当な面もある。しかし大震災から7年を迎え、国や地方行政、国民の粘り強い支援、現地の人たちの復興に対する強い意志は相変わらずだ。何千年にわたり自然災害の被害を受け、その都度立ち上がってきた日本国民の優れた諸相を発見せずにおれない。
◆格差の根源に少子化
一方、記事は現在、医師の数が人口比で圧倒的な「西高東低」になっていることを国の統計で示し、「明治期の薩摩、長州といった藩閥政治が、国内の医療格差に影響している」とする。
その一例として「かつて教育の先進地だった」会津藩の例を挙げ、同藩が戊辰戦争によって、その発展の芽をつぶされた結果、「人口10万人当たりの医師数は204・5人と全国44位」とし「医師不足は、救急搬送の受け入れ拒否による患者の死亡や、病院や診療科の閉鎖など、深刻な問題をすでに引き起こしています」と現場医師の声を載せている。
近代化の過程で起きた弊の一つとしての医療格差や教育格差は認められよう。ただし今日、少子高齢化によって克服すべき問題としての位置付けが正しかろう。
(片上晴彦)