「国難」の少子高齢化問題に「家族」の強化策を論じず解せない保守紙

◆公約に「家族」抜ける

 総選挙で安倍政権が信任された。喧噪(けんそう)な宣伝合戦が終わり、各党の公約を振り返ってみると、すっぽり抜け落ちていた課題が浮き上がってくる。それは「家族」をめぐる施策だ。どの党もほとんど言及しなかった。

 このことを本紙18日付社説「家族の尊重も選択基準に」が指摘している。安倍首相は北朝鮮の核・ミサイル問題と少子高齢化問題を「国難」とするが、社会が安定していなければ内外の危機に対応できない。その根幹ともいうべき「家族」の強化に熱意のある政治家が増えなくては日本の将来が危ぶまれる、と論じていた。

 それで自民党の長老、伊吹文明氏を思い出した。文科相や衆院議長などを歴任し、今回、12選を果たした。出生率が1・2台に落ち込んだ03年、自民党少子化問題調査会の会長代理を務めていた伊吹氏はこう発言している。

 「自然に結婚し、子どもをつくり、育てていく。その喜びや価値観をみんなが共有する。そうした社会を取り戻すことが、少子化対策の基本だ。児童手当など政府の行っている子育て支援策の有効性は否定しないが、効果は限定的だ」(読売03年5月23日付)。

 伊吹氏にとって「結婚するかしないかは自分の権利」とか「子供をつくらないのも夫婦の自由」と考える男女が増えていることが少子化を招いている根本問題だ。

 「最小単位の『公』は家族だ。教育のあり方を見直して、家族の持つ価値、家業の値打ち、祖先に対する尊敬の気持ちを子孫に受け継ぐことが、当たり前の常識として共有される社会を取り戻すべきだ」

 そのために憲法改正も視野に入れる。それが伊吹氏の少子化対策の基本だった。

◆経済的豊かさに汲々

 家族の強化策で際立っていたのは故・大平正芳氏だ。戦後初めて家族崩壊の危機が叫ばれた1970年代後半、首相だった大平氏は家族再生に並々ならぬ意欲を示した。自民党の公約に「家庭基盤の充実」を掲げ、教育や青少年、住宅、税制、社会保障など多彩な家族強化策を提示し、その実現を目指した。

 だが80年、志半ばで世を去った。その後、日本社会はバブル経済に酔い、唯貨(幣)主義者のごとくに経済至上に溺れた。バブル崩壊後は経済的豊かさを取り戻すことに汲々(きゅうきゅう)となり、肝心の「家族」を取り戻すことを忘れた。それで少子化に拍車を掛けた。

 こうした反省の上に立っての伊吹氏の発言だろう。自民党は改憲草案に、「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない」(草案24条)と、家族条項を盛り込んでいる。

 国政選挙で改憲論議が本格的に取り上げられたのは2013年の参院選だ。改憲派は獲得議席次第で衆参共に3分の2を占める可能性が出てきたからだが、そのとき「家族」が課題に挙げられた。

 当時、第三極として注目されていた維新の会の国会議員団は、「『自立する個人』を支える基盤として、『家族の価値と、それを保護すべき国の責任』の新設を検討する」と、改憲の主要テーマに「家族の価値」を取り上げた(読売13年3月20日付)。

 それが今回の総選挙では、安倍首相が改憲論議を回避したこともあって、家族条項だけでなく、「家族」に関わる論議そのものが消えた。保守紙も本紙を除いて、「家族」を忘れ去ったかのようだ。

◆是認につながる沈黙

 読売が「家族」を論じないのは解せない。読売は1994年に新聞社として初めて憲法の改憲試案を提示し、改憲論議に先鞭を付けた。04年の試案修正案では児童虐待など社会のひずみが象徴的に家族に表れているとして「家族は、社会の基礎として保護されなければならない」との家族条項を新たに盛り込んだ。

 産経も13年に発表した「国民の憲法」要綱で、家族を軽視する風潮が離婚や孤独死の増加を招いてきたと論じ、国や社会による家族の尊重、保護規定を設けている。

 少子化が「国難」とするなら、改憲論議で「家族」が俎上(そじょう)に載せられてしかるべきだ。安倍首相が言わないなら、それこそ保守言論の出番ではないか。左派紙はまるで天敵のように家族条項を批判している。沈黙はその是認につながりかねない。保守紙も「国難」への取り組みが問われる。

(増 記代司)