柏崎刈羽原発の安全審査で東電の「適格性」に注文付けた反原発3紙

◆審査書案に噛みつく

 原子力規制員会が東京電力の柏崎刈羽原発6、7号機(新潟県)の審査で、福島第1原発事故を起こした東電に再び原発を運転する資格(適格性)があると認め、早ければ月内にも、事実上の「合格証」に当たる審査書案を取りまとめる。東電の原発が合格する見通しになったのは初めてである。

 この規制委の判断にすぐさま噛(か)みついたのが、朝日、毎日、東京の反原発3紙。14日付3紙の社説見出しは、「規制委の容認は尚早だ」(朝日)、「決意表明だけで『適格』か」(毎日)、「信頼なくして安心なし」(東京)という具合である。

 毎日が言う「決意表明だけ」というのは、規制委が事故を起こした当事者である東電に対し、他の原発の審査になかった「原子力事業者としての適格性」を判断の要件に加え、安全性向上や廃炉への取り組みなどで経営陣の「決意」を必要として、小早川智明社長ら幹部を呼ぶなどして文書を提出させたことを指す。
そのため、「審査経過を見ると、適格性があるとの判断は根拠が薄弱で、説得力を欠くと言わざるを得ない」(毎日)というわけである。

 朝日は、今後のチェック体制を整えることと、現状を評価することは全く別の話だとし、「適格性を十分確認したとは言えないのに、なぜ結論を急ぐのか」と批判。近く5年の任期を終える田中俊一委員長に、自身の任期中に決着を付けたい思いがあるのか、とまで言う。

◆「保安規定」を問題視

 東京の「信頼なくして…」は、毎日と同様、規制委が原発を扱う事業者としての東電の「適格性」にも踏み込むという、「従来にない審査姿勢で臨んだはずだった」のに、社長名の文書が出るや、田中委員長は“心変わり”して適格性も認め、「基準を守るべき規制委自体が、ぶれている」として、「規制委が信用を失えば、私たちは安心を得られない」と言うのである。

 一見、尤(もっと)もそうだが、毎日も認めるように、規制委が踏み込んだ適格性の審査は、そもそも「新規制基準に明確な規定がない異例の措置」(毎日)なのである。だから、東京が「規制委がぶれずに守るべきだ」と批判した基準そのものがないわけである。

 この「適格性」の審査そのものに、「倫理的な範疇(はんちゅう)の課題である。法的根拠をどこに求めるのか大いに疑問だ」と指摘したのが、産経15日付社説である。

 規制委はそもそも、原発の安全対策が新規制基準に適合しているかどうかを科学技術の視点で審査して合否を判断するのが任務である。

 産経が特に問題視するのは、東電がこれから作成する「保安規定」である。規制委は、東電の決意表明が「口約束にならないよう」(田中委員長)に保安規定に書き経済産業相から確約を得る条件を付けたのだが、「保安規定は法的効力を持ち、違反すれば、運転停止やそれ以上の措置につながる。認定方法のあいまいな感情論で将来、理不尽な原発停止が起きかねない」というわけである。同感である。

◆産経が独り気を吐く

 産経が「権限の逸脱ではないか。これでは、法治から情治に傾いた人民裁判に近い」と評するのも頷ける。

 同紙はまた、新潟県の米山隆一知事が福島事故の検証を優先する考えを示して、柏崎刈羽原発の再稼働の時期が見通せないことについても、適格性という要件を持ち出した規制委と同様、「法的権限を欠く要求は、再稼働への立地自治体の同意においても既成事実化しつつある」と指摘する。

 同紙の疑問は規制委にとどまらず、「こうした事態を国が傍観しているのは極めて不可解だ」としたが、これまた同感である。同紙が指摘するように、技術面での安全審査に合格した原発の円滑な再稼働がなければ、国のエネルギー安全保障は成立しないからである。こうした国のエネルギー安全保障という視点は、反原発3紙には全く見られない。

 今回、規制委の柏崎刈羽原発審査について論評した保守系紙は他になく、産経1紙が独り気を吐いている感じである。読売や日経などにも、是非とも見解を示してほしいものである。

(床井明男)