今日的教訓が欲しかった週刊現代・ニュージャパン火災から35年特集

◆大火災惨事から35年

 死者33人、負傷者34人を出した「ホテルニュージャパン火災」から2月8日で35年を経た。ニュージャパンは東京・赤坂の一等地で、地下鉄・赤坂見附の地上出口の大通りを隔てた所にあった。深夜(正確には3時24分)に発生した火災は、翌日の昼過ぎまで燃え続けた大惨事だった。

 週刊現代2月25日号で「ホテルニュージャパン火災を語ろう」と題し、関係者が鼎談ていだんの形で話し合っている。出席者は政治評論家の大下英治、火災当時、麹町消防署の特別救助隊の隊長として陣頭指揮を執り、自ら救助に当たった末大火傷(やけど)を負った高野甲子雄、火災時、火元となった9階に宿泊、夫婦そろって自力で奇跡の生還を果たした山林則雄の各氏だ。

 大火となった原因の一つが通報の遅れ。「最初に消防に通報したのは、従業員ではなく、燃え盛る炎を見たタクシーの運転手だったそうです。従業員が通報したのは発見から20分も後だった」(大下)。従業員の通報が遅れたのは「ボヤで大騒ぎをして、後で社長の横井(英樹)に叱られることを恐れていたのです」(同)というから、客はたまったものでなかった。

 当時、わが社へも、世界日報紙配達途中の配達員からの連絡が先だった。赤坂見附を配達中にホテル火災を見たという電話を本社の宿直者が受け、記者たちを手配した。

 横井は行き過ぎた合理化を画策し、ニュージャパン本体についても、改修費用を節減するため、スプリンクラーなどの消火設備を整備せず、内装も耐火素材にしていなかったことが後に分かった。東京地裁で業務上過失致死傷罪で禁錮3年の実刑判決を受けた。

 耐火素材の不使用など名の知れたホテルの手抜き防災は今では考えられないが、当時はまだ徹底していなかった。むしろホテルニュージャパン火災をきっかけに、ホテル防災の監視が厳しくなった。

 「当時の消防法には今ほど強い権限がありませんでしたから『改善します』と答えてやり過ごすことができたんです」(高野)というのは、当たっている。

 最大のポイントは、火災が発生した時に何が起きたのか、ホテル内で寝ずの番役の従業員に事態がのみ込めなかったことだ。3人の話にあるように、「大騒ぎして、社長のお叱りを受けるのを恐れた」ということもあろうが、トラブルの原因がすぐに分かれば直ちに手を打ち、被害を最小限に食い止めることもできた。だが、従業員は自主的に事態を把握し処置を講じることができなかった。

◆「被害者だ」嘯く社長

 話はさらに進み、「火災の後、横井は『自分たちは被害者だ。悪いのは寝たばこのイギリス人だ』と繰り返していました。確かに火事の直接的な原因はそうですが、防火設備が整い、従業員が訓練されていれば、これだけの大惨事にはならなかった。あれは明らかに『人災』ですよ」(高野)。横井のホテル経営の資質はゼロだと断じている。

 山林も「(横井が)客の安全よりカネ儲けに執着したことが、あの大惨事に繋がった」「(カネへの執着は)最後まで変わらなかったんですね」と振り返り、話を締めている。

 誠に、その通りなのだが、今日から見たニュージャパン火災の教訓は、それだけではなく、もっと別なところにある。

 日本人は従来、機械や施設について無謬むびゅう性、無事故といった過信があり、ややもすると、それが油断につながるケースが少なからずある。むしろ、これらの安全管理においては、事故を減らす努力とともに、逆説的ではあるが、事故は必ず起きるという認識、当事者意識が必要だ。

 まして不特定多数の人間が寝泊まりするホテルのような施設で、火災などの過失・事故の要因を完全に排除することはできないと考えるべきだ。事故は必ず起きるが、大事故につながるのは連鎖的に事故が発生する場合である―という洞察である。

◆大事故回避に先手を

 安全性を阻害する要因の連鎖を断ち切ることができれば、トラブルが発生した場合にも大事故を回避することができる確率は高い。仮に大事故になったとしても人命を救うことができるような手だてを取るべきだ。ニュージャパン火災の教訓を生かし現代を生き抜く知恵である。(敬称略)

(片上晴彦)