憲法「前文」に国柄書くのは世界の常識と知るべき朝日の自民案批判

◆社会党が嘆いた悪文

 現行憲法の前文は「悪文」として知られる。憲法案が審議された第90回帝国議会(1946年)で日本社会党の鈴木義男議員は党を代表して前文に疑問を呈した。

 「まことに冗漫であり、切れるかと思えば続き、まるでこれは、源氏物語の法律版を読むような感じがする。極端に言えば、泣くような、訴えるような、細かく長く切れることのない糸のようだ。一抹の哀調さえ漂っているようで、これが果たして国を治める立派な文章といえるであろうか」

 護憲の旧社会党をもってしても前文は「悪文」だった。当時、内閣法制局第1部長として直接制定に関わった井手成三氏によると、GHQ(連合国軍総司令部)が示したマッカーサー草案の前文に日本側は猛反発した。帝国憲法に前文がなく、そもそも前文の概念がなかったからだという(『困った憲法 困った解釈』時事通信社刊)。

 それで日本側(法制局)は前文の削除を主張。だが、GHQは認めず、このため英文を日本語に訳するのに手間取った。冗漫なのは翻訳特有の文章だからだ。「恵沢を確保し」「厳粛な信託によるものであつて」などがそうで、意味が漠然としている。

 主語が二つあり、理解に苦しむところもある。井手氏は翻訳の際、コンマを抜かして訳した単純ミスがそのままになったからだとしている。

 問題は中身だが、吉田和男・京都産業大学教授は「スバリ言えば、連合国諸国に対する『詫び状』」と断じている(『憲法改正論』PHP)。最大の問題は「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」と自らの努力を放棄するかのような空想的平和主義を掲げたことだ。

◆「日本」忌み嫌う朝日

 それでも朝日は前文を一字一句も変えてはならないと主張したいらしい。1日付から「憲法を考える 自民改憲草案」と題するシリーズを始め、5回にわたって自民党案の「前文」を批判。現行前文を翻訳調と認めたが、中身がよいと擁護している(~7日付=福田宏樹記者)。

 自民案は「日本らしさを踏まえ、自らが作る日本国憲法」を目指し、2012年に作られた。前文は五つの文から成る簡潔なもので、「日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴(いただ)く国家」から始まり、「国と郷土を誇りと気概を持って」自ら守るなどとしている。

 これに対して福田記者は、「現行の前文になじんでいるせいか、(自民案は)身を硬くしていて、のびやかでない」とし、戦後日本に身構え、主語が「国民」から「国」に転換していると批判(1日付)。

 また「良き過去」を国民に継承するよう求め(2日付)、国家の目標が「経済による国の成長」に収斂(しゅうれん)(5日付)、「規律」が「自由」と肩を並べ(6日付)、普遍の原理より日本の誇りを強調しているとしている(7日付)。

 要するに、「人類普遍の原理をうたい、人類共通の理想の追求を誓うことによって、現行の前文は際立った特殊性」を持つのに対して、自民案は「日本の特殊性」が強調されていると忌み嫌っている。

 もとより朝日がそう考えるのは自由だし、自民案にも批判はあろう。だが、問われているのは現行前文の「際立った特殊性」が果たして国際社会に通じるのか、他国依存の平和主義は本当に人類共通の理想なのか、そうした記述は一国の憲法前文として相応(ふさわ)しいのか、といったことだ。このことを朝日は問わない。

◆国柄示す諸国の憲法

 では、海外の前文はどうか。いずれも歴史や由来、目的や趣旨、基本原理などを明記している。例えば、中国は世界最古の歴史をうたい、毛沢東が植民地支配から解放し社会主義国を建国したと綴(つづ)る。

 フランスは1789年のフランス革命の「権利の宣言」を誇り、米国は子孫に自由のもたらす恵沢を確保する制定目的をうたい、ドイツ(基本法)は州名すべてを挙げて東西ドイツ統一を成し遂げた意義を語る(中山太郎編『世界は「憲法前文」をどう作っているか』TBSブリタニカ)。

 歴史や国柄を言わず、空想的理想論を説く憲法前文など、どこにもなかった。冗漫な源氏物語風の前文になじんでいる朝日には、現実世界が皆目見えてこないのだろう。

(増 記代司)