安保法制、同姓合憲など今年の朝、毎、東京の論調を表す漢字は「虚」

◆「徴兵制」の虚言流す

 今年の世相を表す漢字は「安」だったが、新聞はどうだろうか。むろん新聞は世相の鏡とされるから、「安」に異論はない。だが、それは表層のことで、その底流に「虚(きょ)」が横たわっていたように思えてならない。

 その象徴がゲバラを賛美する東京新聞の社説だ(9月28日付)。国連総会の首脳演説を論じた中で、キューバのゲリラ指導者ゲバラの国連演説を取り上げ、「目先の駆け引きを超越した純粋な理想の演説」と、まるで国際平和の旗手のように書いた。確かに演説は「名文」だが、それがゲバラの本質とは誰も考えまい。

 ゲリラ指導者として、医師でありながら、生涯で数え切れないほど人を殺した正真正銘のテロリストだ。1967年にボリビアで射殺されたが、最期の言葉は銃撃を躊躇する若者に「落ち着け、よく狙え。お前はこれから一人の人間を殺すのだ」とされる。それが理想主義者? 「虚」も甚だしい。

 安保関連法について共産党が徴兵制の復活と言わんばかりのポスターを街中に張り、民主党も同様の冊子を作ると、新聞もその尻馬に乗り、毎日は「経済的徴兵制」を持ち出した(7月23日付夕刊「特集ワイド」)。

 経済的徴兵制とはジャーナリストの堤未果氏が『ルポ 貧困大国アメリカ』で表現したもので、貧困から抜け出し人間らしい生活をするためにやむなく軍に入隊することを指すそうだ。貧富の差の激しい米国ならではの話で、自衛官に当てはめるのは「虚」だ。

 そもそも貧困だから「人間らしい生活」をしていないと決めつけるのは失礼な話だ。もちろん経済的事情で自衛官になる人はいる。国際宇宙ステーション(ISS)に約5カ月間滞在した油井亀美也さんは家が貧しかったので防衛大学校に入学し、航空自衛官になった。

 「ヒゲの隊長」の佐藤正久さん(元イラク先遣隊長・現参院議員)も家計を案じて防衛大学校に入った。いずれの家庭も経済的に貧しくとも子供に志を失わせなかった立派な家庭だ。士や曹にもそういう人がいるが、入隊の動機をすべて「金」と捉えるのは毎日記者の「精神の貧困」の現れにほかならない。

◆偏った個人主義助長

 朝日の「戦争法」とのレッテル貼りは常軌を逸していた。その根底にあるのはマルクス流の国家悪論だ。戦後70年を論じた社説(「個人を尊重する国の約束」8月16日付)は、「権力とはそもそも暴走するもの」と断じ、国家と国民を対立関係で描き、「個人」を金科玉条とし、「家族」を置き去りにした。

 そればかりか、個人尊重や権利擁護の美名の下に同性カップルを結婚に相当する関係と認める東京・渋谷区の「同性パートナーシップ条例」を賛美した(3月15日付社説)。

 これに大半の新聞も同調し、毎日は性倫理の乱れについては意に介せず同条例を「レズビアンやゲイなどの性的少数者(LGBT)の人権尊重」(同日付社説)と褒めちぎった。東京(3月27付社説)、日経(4月7日付社説)もそれに続いた。

 夫婦同姓を合憲とした最高裁判決にもこぞって異を唱え(12月17日付社説)、伝統的な「家族観」を頭から否定した。ここでも個人の尊重が強調される。「個人ありて家滅ぶ」の構図だ。それでフランスの政治思想家トクヴィルの次の言葉が思い出された。

 「個人主義は、初めはただ公徳の源泉を涸(から)すのみである。しかし最後には、他のすべてのものを攻撃し、破壊し、そしてついには利己主義のうちに呑み込まれるようになる」(『アメリカの民主政治』)

◆家族や公徳が盲点に

 公徳とは、社会生活をするうえで守るべき道徳のことだ。もとより個人は尊重されねばならないが、個人は独りっきりで存在しているわけではない。安定した家族や社会の公徳、平和な国家がバックボーンになければ、個人が尊重されることはまずないだろう。

 米国の政治学者ラスウェルは、マスメディアは「注目の枠組み」を作り出し、問題を焦点化する機能を持つと論じたが、焦点化は逆に言うと、そこから外れたところは盲点となるということだ。焦点化すればするほど、盲点は一層、見えにくくなり、「虚」を生み出す。今年の新聞を表す漢字を「虚」としたいゆえんだ。

(増 記代司)