集団的自衛権合憲の憲法学者に光を当て論拠語らせた新潮の座談会

◆「違憲」ばかりが報道

 衆院憲法審査会に呼ばれた「憲法学者」3人が、集団的自衛権は「違憲」との見解を示した。その後、憲法学者たちの“人気投票”のように集団的自衛権が扱われ、朝日新聞、東京新聞などは「違憲が多い」ということばかりを報じている。

 だが、ことは「憲法論議」であって、数が多いか少ないかで決める事柄ではまったくない。確かに同じ見解が多いということは考慮されるべきだろうが、法律論の本質を離れて、論点が巧妙にずらされることで、憲法論議よりも情緒的な「国民感情」誘導に力が注がれているのが現状だ。

 これは、憲法論争をすれば勝ち目がないから、場外乱闘に持ち込むという野党陣営の常套(じょうとう)手段である。国会前の歩道を塞いで、通行を妨害しながら、「戦争反対」などと感情的に叫び、それを偏向メディアに取り上げさせる、という使い古された“お決まりの手”なのである。

 週刊新潮(7月30日号)が、「なぜか疎外されている『集団的自衛権は合憲』の憲法学者座談会」を掲載した。百地章日本大学教授、浅野善治大東文化大学大学院教授、長尾一紘中央大学名誉教授の3人で、いずれも公法学界の重鎮である。「合憲とする憲法学者には強い論拠があった」として、3人の白熱した議論を載せた。

 百地教授は、「解釈の変更は法的な安定性を揺るがす」とした審査会での長谷川恭男早稲田大学大学院教授の見解に対して、「政府見解の変更は初めてではない」とし、「いかなる武力の保持も許されない」から「必要最小限度の実力は保持できる」に、また「自衛官は文民」が「自衛官は文民に当たらない」に、さらに「総理大臣の靖国神社参拝が違憲との疑いを否定できない」から「靖国神社参拝を合憲とする」に変えられてきた実例を挙げた。

◆意外な法制局の実態

 長尾教授は、違憲論者の多くに、海外の憲法と比較する視点が欠けているとして、「海外には個別的自衛権や集団的自衛権の保持を否定したり、行使を禁止する意見はない」と日本で繰り広げられている不思議な論争を皮肉った。

 内閣法制局長官経験者のなかにも「違憲」を主張する人がいる。だが、この3氏は、法制局は「いわば内閣の顧問弁護士」であって、政府に意見を押し付ける権限はなく、「本来の役目を大きく逸脱した行為」だと批判する。

 さらに驚くのは、法制局には「法律のプロはいません」(百地教授)という指摘だ。各省庁のトップクラスのエリートだが、法曹資格者はわずか。「集団的自衛権は国際法上の権利にもかかわらず国際法の専門家もいません」(同)というのだから呆れる。

 長尾教授の指摘は、現在の論争の外れっぷりを理解させる。鈴木善幸内閣時代に示された政府見解に対して、「日本は国際法上は集団的自衛権を保有する。しかし、憲法上、保有するかどうかという点はパスして、行使は禁止されている」という解釈だとし、「もし学生が、試験でこんな論拠破綻の答案を書いたら落第ですよ」と笑い飛ばしている。

 浅野氏は、「正しいことは1つで、それは国を守るために何をしなければならないかということ」と述べ、百地氏は、「本質的な解決は、憲法9条第2項を改正して軍隊を持つことでしょう」と指摘する。

 合憲か違憲かで不毛な論争をして時間を使うよりは、憲法改正を論じるべきだというのは正論であり、その方がスッキリするだろう。

◆芥川賞販促する文春

 話変わって、お笑いコンビ、ピースの又吉直樹が「火花」で芥川賞を受賞して話題となっている。出版元の文藝春秋では増刷して、累計124万部になるというから“笑い”が止まらない。週刊文春(7月30日号)では早速、「又吉直樹『火花』の原点」を“総力特集”した。増刷した分を売り切ろうという魂胆だろう。

 お笑い芸人が出して売れた本としては、田村裕(麒麟)の「ホームレス中学生」(ワニブックス)が記憶に残る。2008年時点で225万部を売り、賞は取らなかったものの、漫画、映画、テレビ化されたが、一時のブームで終わった。

 又吉先生の次作が早くも注目されている。芥川賞作家の次作ほど厳しいものはないが、“花火”で終わらないことを願おう。

(岩崎 哲)