新国立競技場、一般紙を越え角度が付き過ぎ始末に負えぬ朝日社説

◆評価した読売、産経

 「コストが予定より大幅に膨らみ、国民、アスリートから大きな批判があった。このままではみんなに祝福される大会にすることは困難だと判断した」

 安倍晋三首相はこの17日に、2020年東京五輪・パラリンピックのメーン会場となる新国立競技場の建設計画を「白紙に戻し、ゼロベースで見直す」ことを表明した。費用高騰の元凶とされた巨大なアーチ構造を特徴とするデザインは、選定からやり直すなど抜本的に見直すことになった。

 新競技場は19年秋のラグビー・ワールドカップ(W杯)日本大会での使用を前提に完成を目指していたが、これを断念。20年春の完成で同年7月の東京五輪・パラリンピック開幕に間に合わせるという絶対条件の下、政府は秋口までに予算や規模などの新たな整備計画をまとめる。その後、デザイン、設計、施工業者を選定し、来年1月か2月着工で建設を進めることに。

 新国立競技場の計画見直しについて、新聞論調(社説や主張)は「妥当」「評価」「当然」などと見直し自体については支持した。だが、まっ先に「新競技場の見直しは当然だ」のタイトルを掲げた日経(17日)は「整備費が当初の計画を5割以上も上回る2520億円と公表されてから、20日近く。破格の費用で財源も不透明なうえ、完成後の収支も大幅に悪化するとの見通し」と余りに杜撰な計画を批判。「見直すべきだ」「納得できない」とする世論調査の回答が7~8割に上ったことを上げ、今回の見直しを「そんな国民の良識が政治を動かしたともいえよう」と解説した。

 そもそも無理があったとして計画の白紙撤回を評価したのは産経と読売(ともに18日)である。「当初計画の1625億円から2520億円に跳ね上がった総工費を伴うデザインには、明らかに無理があった。このまま計画を強行すれば、さらに工費が膨らむ恐れもあった」とする産経は「遅すぎたとはいえ、首相の決断は妥当」だと評価した。その上で「新たな計画には、五輪招致時に掲げた『アスリートファースト(選手第一)』の理念に立ち返る」ことと五輪までに必ず「国民や選手に祝福される聖地を完成させ」ること。そのために事業主体の文科省と日本スポーツ振興センターとともに国交省や東京都、経済界を含むオールジャパン体制での一丸となった取り組みを求めたのである。

◆「安保」に絡める朝毎

 読売も「工費膨張の元凶だった2本の巨大アーチ構造に見切りをつけた首相の判断は、遅きに失したとはいえ、適切である」と計画の白紙撤回を支持した。そのうえで、新競技場を「五輪までに確実に完成させること」が重要で失敗は許されないと詰めた。一方で「当初から関係者にコスト意識が乏しかったというわけだ。巨大アーチ構造は工費がかさむことが分からなかったのだとしたら、専門家として、お粗末」と関係者を批判した。産経、読売とも評価、批判ともに正論である。

 前記3紙に対して、朝日、毎日(ともに18日)がやや趣を異にするのはいつものパターンである。建設計画の白紙見直しについては「『負の遺産』としないためには当然の判断」(毎日)、「方針転換は至極当たり前の決定」(朝日)と肯定的に軽く触れるのだが、そのあとのテーマが安保政策などに大きく傾き引き込むからだ。

 毎日は見直しの決定が衆院での安全保障関連法案の強行採決の日と重なることから「安保法案が支持率低下の要因となる中、国民の支持をつなぎ留めたいとの思惑があったのではないか」と問う。「国民の声に耳を傾け」て方針転換をした安倍首相に「そうであれば、安保政策、沖縄の普天間移設問題、原発政策についても国民の声に謙虚に耳を傾ける姿勢を示してほしい」と迫るのである。

◆言葉尻とらえて説教

 これが朝日となると、もっと露骨な安倍政治批判となって独特の「角度が付く」のだ。「(競技場問題迷走で)一貫していたのは、異論を遠ざける姿勢だった」と安倍政権批判に転じ「それは競技場問題に限った話ではない。国民が重大な関心を寄せる安保関連法案や、原発関連行政にも通底する特徴だ」と、まさに話に角度が付く。
 「主役は国民一人ひとり、アスリートの皆さん」と語った首相の言葉尻から「ならば安保も原発も、あらゆる政治課題でも、主役は国民一人ひとりであることを悟るべきだ」と説教で結ぶ。一般紙を越えて角度が付き過ぎ始末に負えないのである。

(堀本和博)