2020五輪メーン会場の新設問題の“犯人”捜しが曖昧だった文春
◆日本で起きた意外性
2020東京五輪のメーン会場となる新国立競技場の建設が間に合わないという話が出ている。どこかの国ではあるまいに、この日本でそんなことが起こり得るのか、という驚きが広がった。いったい、誰がそんな“でたらめ”をやったのか? 週刊文春(6月4日号)が「一番悪いのは誰だ?徹底検証」の記事をトップで報じている。
日本人はきちっと“戦犯”を探せず、かばい合って、責任の所在を曖昧にしてしまうことが多い。徹底的にやり込めないのだ。その一方で、すべての責任を一人に被せて“腹を切らせる”解決方法もある。これは真の黒幕を逃がすための身代わりだ。今回の場合、建設が間に合わないことの“主犯”を誰だと特定することは難しい。さまざまな要因が絡み合って、この醜態を晒すことになったようだ。
話は下村博文文科相と舛添要一東京都知事の会見で飛び出した。下村大臣は、「屋根を付けると工期が間に合わない。見積もりも千六百億円では追いつかない相当な額が出ている」と舛添知事に伝えた。TV報道で見ても、実にあっさりと軽くこの話を出している。
だが、国民もそうだが、都知事も驚いた。しかも、この後、「東京都も500億円負担せよ」という話が当然のように出て来たから、「都民の税金を使うのなら、きちっとした説明が出来なければならない」と舛添氏は反発する。当然の話だ。
問題点は工期が間に合わない、建設費が大幅に増えた、この2点である。まず、どうして間に合わなくなったのか。下村大臣は舛添知事に、「五輪前のラグビーW杯に間に合わず、そのため屋根なしで建設せざるをえない」と説明する。新国立競技場は2020年ではなく、2019年9月までに完成していなければならないというのである。
◆絡み合う諸事情説明
だが、そもそも、どうして国立競技場を建て替えるようになったのか。同誌によると、2016五輪招致に失敗した石原慎太郎都知事(当時)が日本体育協会と日本オリンピック委員会(JOC)の百周年事業のレセプションで、「(2020五輪招致に)勝てなかったら意味がない。東京は汗をかいて血みどろになってカネ、施設もつくる」とぶち上げた。これが「東京五輪のレガシー(遺産)とベイエリア」で行うとしていた五輪構想から、新国立建設に方針転換された瞬間である。
だが、この背後にはキーマンがいたと同誌は伝える。森喜朗元首相である。日本体育協会会長の森氏は、「スポーツジャーナリストの谷口源太郎氏」によると、「日本ラグビー協会会長を長く務め、二〇一九年ラグビーW杯招致に尽力していた」という。谷口氏は続けて、「ラグビーの準決勝と決勝の会場は収容人数八万人以上が望ましいとされていた」と説明する。
ラグビーW杯招致に懸けていた森氏としては、5万人収容の旧来の施設(レガシー)を使うのでは招致できないから、新国立建設がどうしても必要だった。だから、「五輪招致への再挑戦に消極的だった石原氏を口説き落とした」(谷口氏)のである。
ならば、どうして間に合わないようなデザイン案が採用されたのだろう。報道では採用されたザハ・ハティド氏は「アンビルドの女王」と呼ばれるほど、建設不可能な設計をすることで知られているらしい。
だが、新国立のデザイン国際コンクール審査委員長を務めた安藤忠雄氏は、「作り上げるのは大変難しいが、日本の土木、建築技術は世界最高レベルにあり、乗り越えていける」と“太鼓判”を捺(お)した。
ところが建設費が当初見積もっていたよりも2倍に膨らむことが分かる。基本計画見直し、規模縮小などするも、工期が間に合わない、ということになった。なんとも詰めの甘い話である。
◆「無責任」に落とし所
こう見てくると“戦犯”は森氏、安藤氏辺りになると読めるが、彼らは責任者ではなく、新国立建設の真のコントロールタワーがどこなのかも曖昧だ。文科省=国なのか、国立競技場を運営する文科省の外郭団体、日本スポーツ振興センター(JSC)なのか、招致した東京都なのか、同誌は「“無責任の連鎖”により、危機にさらされる東京オリンピック」「恥をさらさないためには、体制の立て直しが急務である」と結ぶ。もっとはっきり戦犯を名指ししてもよかったのではないか。
(岩崎 哲)










