親の監督責任/最高裁判決で親の適切な指導が大切と説く毎日社説

◆産、毎、読が肯定評価

 小学生(11歳)が校庭でサッカーの練習中に蹴ったボールが、ゴールポスト、門扉、側溝を飛び越えて道路に転がった。オートバイで走っていた85歳の男性がこれを避けようとして転倒し足の骨折などで入院。入院先の病院で1年4カ月後に肺炎のため亡くなり、遺族が小学生の両親に損害賠償を求めて訴訟を起こした。

 裁判は1、2審が両親の監督責任を怠った責任を認め、1千万円超の賠償を命じた。それが9日の最高裁判決は、両親の損害賠償責任を否定する逆転判決を下した。通常は危険とは考えられない行為で、結果についての具体的な予見可能性がなければ責任を負わない――とする判断を示して、原判決を破棄したのである。

 責任能力がない人の「監督義務者」の損害賠償責任をめぐる訴訟は、大変に悩ましい問題であるが、これまで司法は被害者救済を重視した判断をしてきた。民法714条1項は、責任能力のない人が第三者に損害を与えた場合に、監督義務者が責任を負うことを定めている。その一方で、監督義務を怠ったとは言えない場合などの免責も規定しているのだが、これまで実際に免責規定が適用されたことはなかったと見られる。

 それだけに「今回の判決は、規定の適用をめぐり議論の余地が出てきた点で、従来の流れを変えるものといえる」(時事通信9日・解説)、「司法判断の流れを大きく変える考え方」(読売11日社説)などと新聞などは社説や特集記事で注目した。

 「親の監督(賠償)責任」をテーマに最高裁判決を社説(主張)で取り上げたのは産経(10日)、毎日(10日)、読売(11日)の3紙。判決について産経は「多くの人が、『それはそうだろう』と納得した判決ではないか」「すべての司法判断が国民の常識と乖離(かいり)すべきではないことは当然」、毎日は「不慮の事故に近い事案で、監督責任を問うのは厳しいとした結論は理解できる」、読売は「子供が通常は危険性のない行為で偶然に事故を起こしても、原則として親の監督責任は免除される――社会通念に沿った初判断が示された」などと肯定的な評価をしている。

◆読、毎は留意点指摘

 その上で産経は、認知症の91歳男性が線路に立ち入り電車にはねられ死亡した事故(平成25年8月)で、JR東海が遺族に振り替え輸送費用など損害賠償を求めた裁判ケース(現在上告中)にも言及。「2審で賠償額は半分(1審判決で720万円)に減額されたが、大きすぎる責任と隣り合わせでは、在宅介護が立ちゆかなくなる恐れもある。今回の最高裁の判決は、認知症患者の家族の責任範囲や賠償義務など、今後の判断にも影響を与えるだろう」と日常感覚や常識にかなう司法判断に期待を示したのはうなずける。

 判決を大局的には肯定的に受け止める一方で、読売と毎日が強調した留意点も見逃してはならない。

 ひとつは、読売が「最高裁はどんな場合にも親の監督義務を免除したわけではない」として、人混みの中を自転車で暴走する行為などで事故を起こせば「親の責任を問われるのは当然」と警告していること。毎日も今回の判決は「一定の条件下で親の免責を認めただけ」「個別の事案であり、判決を一般化するのは難しい」と、あくまで問題は個別判断に委ねられるとした。今回のケースでも「男児がふざけて外に球を蹴りだしていれば、異なる結論になった可能性がある」と指摘するのである。

 さらに、毎日は親の心構えについても言及。「社会生活上のきまりや交通ルールに反すれば、子供自身も含めて賠償責任は問われ得る。親の子供に対する適切な指導やしつけは大切だ。それも肝に銘じたい」と説く。極めて妥当な主張と言っていい。親は子供に対するしつけや社会規範の指導を怠ってはいけないのである。

◆大人に問われる宿題

 もう一つは、家族だけでなく学校や地域に、子供を見守り健全に育てられる、子供が伸び伸びと遊べる環境づくりへの努力を求めたことである。読・毎はボール遊びを禁じる公園が少なくないことを指摘。その上で読売は「子供が伸び伸びと遊べるよう、大人が事故防止に知恵を絞りたい」とし、毎日は「せめて校庭開放の時ぐらい子供は思い切り球を蹴りたいだろう。学校を含め、大人の側が目配りをして環境作りを進めたい」と訴えたのである。

 親の監督責任についての論議の中で出てきた、子供の健全育成の課題についての指摘は大人たちに突きつけられた宿題である。

(堀本和博)