経済を宗教で分析したエコノミスト、神仏に由来する日本の労働観
◆真摯に宗教見つめる
2008年に起こったリーマン・ショックは、米国にとどまらず、ヨーロッパ、日本、アジアに波及し世界同時不況を引き起こした。以後、主要国や新興国などを集めたG20は、金融緩和を柱とした経済政策を打ち出すとともに、サブプライム(低所得者向け高金利型)住宅ローン問題を引き起こした投機マネーの監視強化に努めた。
この事件を契機に資本主義とりわけ資本主義が高度に発展した金融資本主義の限界を指摘する声が多くなっている。そもそも資本主義にはキリスト教という精神理念が根底にあった。しかし、現代の資本主義には経済行動の規範となるべき倫理観や道徳観は薄れ、様々な歪みを生んでいる。
そうした中で経済誌は宗教と経済、あるいは国民性や倫理道徳といった側面から経済問題を取り上げている。一つは週刊エコノミスト(10月22日号)の特集で、その名も「宗教と経済」。同号では「資本主義とキリスト教の関係」、「成長するイスラム金融」、「日本人の労働観」など多岐にわたって宗教と経済の関わりについて議論している。
特集のリード文には、「宗教と政治、経済、社会は密接な関係にある。私達は宗教に関する基礎知識とともにそれぞれの宗教の思想的背景を理解することが不可欠である」と綴り、さらに「それが結果的に経済活動のリスクを軽減させることにもつながるし、またビジネスの商機をつかむきっかけにもなることだろう。グローバル経済の深淵には宗教があることを忘れてはならない」と断言している。
これまで経済誌の“宗教”に係わる特集といえば、葬式など冠婚葬祭での費用や巨大教団の資産ランキングといった興味本位で底の浅い記事が多かった。それに比べると同特集は、経済活動に多大の影響を与える宗教の理念的側面を真摯に見つめている点で評価できる。
◆おもてなしに禅の心
特に社会学者の橋爪大三郎氏、大澤真幸氏、比較宗教学者で中央大学総合政策学部教授の保坂俊司氏による鼎談は興味深い。資本主義の生成過程からポスト資本主義について論じられており一読に値する。
一方、特集では日本人の労働観について宗教評論家のひろさちや氏が論文を掲載しているが、そのなかで同氏は日本人の労働意識について言及している。すなわち、日本人の労働の根底には、「仕事は神によって委任されたものという意識がある」と説き、「神が農作を農民に委任された。だから稲作は神の委任であり、日本人は労働が好きなのだ」と結論づける。
労働を人間の罪の結果とみる西欧人と神から委任された仕事とみる日本人。どちらにしても、ひろ氏は「宗教の労働観には、民族のメンタリティーや思考の根底に、宗教が横たわっており、容易には変わらない。だから民族理解には、その民族の宗教を知ることが不可欠なのだ」と宗教を知り理解することの重要性を訴える。
ところで、日本人の国民性を表した振る舞いに「おもてなし」がある。20年の東京五輪招致決定で一気に流行語になったが、その言葉の源流は茶道、さらに言えば禅宗の考え方に基づいている。茶道で生まれた「その瞬間を、人生で一度の交会と思い、心を込めて客人を迎える」という「一期一会」の思想が「おもてなし」の源流にある。極めて高貴な意味合いを持つ言葉で、それが日本文化の一つを形作っていると言っても過言ではない。
◆品位欠いた東洋経済
その「おもてなし」をテーマに週刊東洋経済が特集を組んだ。ただタイトルが良くなかった。「おもてなしで稼ぐ」(10月19日号)。サブタイトルは「観光立国の起爆剤」となっているが、要は日本はまだ観光立国とは言い難く、幸い20年にオリンピックが開かれることになったのを機会に日本文化の象徴でもある「おもてなし」で外国人旅行者を増やして稼ごうではないか、という趣旨の特集である。
もちろん、外国人旅行者を増やすことに異存はないが、「おもてなしで稼ぐ」はあまりにも品位に欠ける表現ではあるまいか。そもそも「おもてなし」は「心を込めて客人を迎えたい」という心情を表したもの、「もてなして稼ごう」というような下心は微塵もないことを意味した言葉である。そういう意味で東洋経済の今回の特集は、最初から品位を落としていると言わざるを得ない。
教養性のある品の高い特集を組んだエコノミスト、品を落とした東洋経済。今回はエコノミストに軍配が上がると言える。
(湯朝 肇)