袴田事件再審決定の見出しにマルクス主義がにじむ朝日の印象操作

◆14版「国家が陥れた」

 静岡県で1966年に一家4人が殺害された「袴田事件」の再審が決定し、死刑が確定した元プロボクサー袴田巌さんが48年ぶりに釈放された。これを報じる新聞にはベタ白抜きの大見出しが躍った 。

 驚愕(きょうがく)させられたのは、決定が有罪とされた物証を捏造(ねつぞう)としたことだ。それも「捏造する必要と能力を有するのはおそらく捜査機関(警察)のほかはない」と断じている。正義と治安を守るべき警察が冤罪(えんざい)を作ったとするなら、「許されない犯罪行為」(読売3月28日付社説)だ。当然、各紙は「証拠捏造」に焦点を当て、徹底検証を求めている。

 そんな中、違和感を抱かせたのは朝日28日付1面だ。以前も本欄で13版(首都圏)と14版(最終版=都内)で「見出し操作」が見られると論じたが、今回もそうだ 。

 まず13版を見ると、「袴田さん48年ぶり釈放」のベタ白抜きの横見出しがあり、「『証拠捏造、警察のほかにない』 捜査を厳しく批判」との縦見出しが続く。他紙も似たり寄ったりで、これが再審決定を最も言い表している。釈放を受けた同日付夕刊3版(朝刊13版地域)は「自由な朝 袴田さん、朝食に『おいしい』」とある。むろん、この朝日夕刊に違和感はない 。

 ところが、14版では「証拠捏造、警察のほかにない」が「国家が無実の個人陥れた」と変じた。ふつう13版は24時、14版は1時で印刷に回されるので、この1時間に見出しに手が加えられた。夕刊4版(14版地域)も「自由な朝」が「袴田さん『解放された』」と変えられている 。

 これらの見出しを比較して、唸(うな)ってしまった。国家が個人を陥れ、そこから解放される――。どこかで聞いたセリフではないか。そう、マルクスの国家観、革命観のそれである。見出しからは「国家=悪」を印象付けようとする意思が伝わってくる。こういう印象操作は他紙にはない。

◆ならば「釈放」も国家

 朝日は「国家が無実の個人を陥れた」とするが、再審決定を厳密に記すと「国家機関が無実の個人を陥れ、45年以上拘束し続けたことになり、刑事司法の理念からは到底耐え難い」である。つまり「国家」ではなく「国家機関」である。もちろん国家に違いはないが、国家と国家機関ではニュアンスが違ってくる 。

 この部分は再審決定の結論のところに書かれており、前段で捜査機関(警察)としているから、国家機関とは捜査機関を指すことは自明である。朝日に追従しがちな東京も「耐え難いほど正義に反する」を見出しに採っており、「国家」を目の敵(かたき)にする朝日の異様さが際立っている 。

 言うまでもなく、「証拠捏造」をしたのも国家機関(警察)なら、袴田さんを釈放したのも国家機関(静岡地裁)である。だから、国家が陥れたと強調するなら、国家が釈放したと言うべきだが、そちらの方は言わない。どうしても国家を悪者にしておきたいのだろう 。

 こういう朝日の国家観は憲法論議でも露骨に顔を出す。朝日は権力が暴走しないように縛るのが「立憲主義」で、それが近代憲法の本質だと説き、国家機関のことを「権力側」とも記す(例えば2013年5月25日付社説「憲法と国会 立憲主義を踏み外すな」) 。

 自民党の改憲草案がわが国の歴史、伝統、文化に立ち返ろうとしていることも立憲主義に反するとし、安倍晋三首相が国会答弁で「(憲法が国家権力を縛るという考え方は)王権が絶対権力を持っていた時代の主流的な考え」と述べたところ、これも立憲主義からの逸脱だと批判した(2月6日付社説「首相の不思議な憲法観」)。

◆階級思想浮き彫りに

 そこからうかがえる朝日的憲法観は、絶対王制を打倒したフランス革命や国家を「支配の道具」(マルクス)とする階級国家観であることが浮き彫りになる。民主主義国家には英国のように成文憲法を持たず、マグナカルタ(1215年)以来のコモンロー(慣習法の体系)を法の基礎に据えている国もあるが、朝日はそうした国家を黙殺し、マルクス的国家観しか眼中にないのだ 。

 その流れの中に袴田事件も据え、反国家の格好のネタとして使った。筋金入りのマルキストがいるに違いない。

(増 記代司)