東日本大震災3年に復興はこれから本番と意識付けした「日曜討論」
◆災害に貴重なラジオ
東日本大震災から3年――。死者・行方不明者は1万8000人を超え、26万7000人以上の人々が避難生活を余儀なくされている。マグニチュード9の巨大地震と大津波、原発事故は、豊かになった時代に想像もしなかった耐え忍ぶ生活をもたらした。3年の節目に放送された各局各放送を見るにつけ、視聴者それぞれに、その時どうだったかという痛みを分かち合う共通体験がある。
この震災を通して見直されたのが「絆」だ。メディアの中では、被災者と絆を最も結んだのはラジオではないか。テレビのある家屋を失い、新聞も雑誌も届かず、携帯電話は繋がりにくくなり、携行できるラジオがなによりの情報源になる。特に公共放送のNHKが貴重になる。
警報や速報とは別にNHKラジオ第一で東日本大震災を受けて始まった番組が「絆うた」だ。震災翌月の4月から土曜夜7時のニュースの後に被災地の人々の心を励ます歌のリクエストに応えてきた。初回(2011年4月2日)のリクエストは番組ホームページによれば「時代」(中島みゆき)、「明日に架ける橋」(サイモンとガーファンクル)、「春よ、来い」(松任谷由実)。
家族を失った、行方が分からない、家を流された……当初は寄せられたリスナーの言葉に沈鬱な空気が覆った。掛ける言葉を失うほどの悲惨な境遇に、ラジオである以上、言葉で応じなければならない。その難しい司会をしてきたのは三宅民夫アナウンサー。NHKが看板アナウンサーを投入した同番組は、被災者の心に寄り添う「心の復興」を先駆けてきたと言えよう。
◆難しい土地収用問題
さて、復興の遅れという厳しい現状認識が国内にある。9日のテレビ、「新報道2001」(フジ)はクリミア問題で国際的関心が集まるウクライナ情勢に触れながら28年前のチェルノブイリ原発事故に話題が移り、そのゴーストタウンを訪れる日本人観光客が福島第一原発事故を受けて急増したと報じた。
その上で、ウクライナ(事故当時ソ連)では数十万人に避難勧告が出され「2年経たず50㌔㍍の場所にニュータウン『夢の町』が建設」されたとナレーション。日本では3年経っても復興住宅が1・9%しか建設されていないと、進展の差を8日の安倍晋三首相のいわき市の復興住宅訪問の映像とともに指摘した。
同日の「日曜討論」(NHK)は根本匠復興相、達増(たっそ)拓也岩手県知事、村井嘉浩宮城県知事、佐藤雄平福島県知事らに復興の課題について聞いた。復興の遅れは津波被害が大きな理由の一つだ。根本復興相は「かさ上げして区画整理をする、山を切って高台移転するのに時間がかかる」と述べ、達増知事は「復興のピークはこれから」と見通した。
ただ、討論の印象でも後手後手の法的対応は否めない。根本復興相は復興加速化を強調しながらも「隘路(あいろ)を一つ一つ乗り越える」対応であることを語り、達増知事は「現行土地収用法の対象を拡大するとか、金銭賠償しながら工事も同時に着工できる立法により復興を加速化する提案をしている」と述べた。
死者・行方不明者には土地所有者も多くいる。「相続関係が曖昧になって相続可能な人が50人とか270人とか出てくる」(同知事)とその確認作業だけでも大変な労力を要する。村井知事は、このような問題は「突き詰めていくと憲法の財産権の問題になる」と指摘。原発事故を抱える佐藤知事は除染と汚染水対策を訴え、また、小山良太福島大学准教授は大規模な原発事故を想定した法はなく、その都度対応してきたところ「改めて例えば原子力災害基本法をつくるべきだ」と主張した。
◆非常事態に法整備を
つまりは、戦災以来の大災害に平時の法律の改正や新規立法であたってきたことが復興の遅れのもう一つの原因ではないか(11年通常国会に内閣が提出した震災関連法案は26件、同年秋の臨時国会では10件、同年政令は89件、12年通常国会に法案11件、同年秋の臨時国会に1件、同年政令は42件、昨年の政令は19件)。
関東大震災には明治憲法8条、14条などの非常事態規定で対応したが、敗戦で現憲法に非常事態規定はなくなった。その現憲法が施行して間もない1947年9月、カスリーン台風が記録的豪雨と利根川堤防決壊などによる甚大な洪水被害を関東にもたらした。占領下であり、この非常事態には占領軍が対処し、後に災害救助法が成立した。それ以上の巨大災害である東日本大震災を教訓に、あらかじめ非常事態に対処する法整備が必要になろう。
(窪田伸雄)