与党には怒号、野党には甘言、「リベラル派が陥る独善」を地でいく朝日
◆不寛容に寛容を主張
リベラル政治学者が、リベラル派の政治家の陥る独善を、リベラル紙の朝日紙面で指摘していたので興味深く読んだ。「(多様性の問題でも)寛容になれ、と不寛容に主張する。政治とは自分の信条の純度を上げてそれを実現することだと信じ、四角四面で潔癖主義のピューリタン化してしまっている」(朝日9日付「選挙を考える」インタビュー)
多様性に限らず何事においてもリベラル派は不寛容だ。そう語るのは専修大学教授の岡田憲治氏である(専門は民主主義理論)。
今春まで小学校のPTA会長を3年務め、義務と負担でがんじがらめの組織を改善しようと意気込んだが、気付けば周囲は敵だらけ。筋論を言えば人は付いてくる、という誤った考えにとらわれていたことに気付き、同じ視点で政治を評価していた自分の姿勢を猛省したという。
「ねぎらい、説得し、妥協し、根回しし、仲間を増やす。そのためには言葉選びがシビアに問われる。これこそ政治の現場だ、と」
それでリベラル派(つまり野党)政治家を諭しておられる。「正しくもっともらしいことを言えば政治になると思っている偏差値秀才から脱し、人々を『発見』する。リベラルがまず目指すべき政治のイメージです」
思わず朝日、とりわけ同紙の政治部記者が浮かんだ。東大出身の偏差値秀才が少なくない。正しくもっともらしいことを言えば記事になる、というところも似ている。ついでに言えば、朝日で中堅記者になろうものなら年収1200万円超え。むろん新聞業界でトップ。それはともあれ、「寛容になれ、と不寛容に主張する」のはリベラル紙も同じではないか。
◆問われる「言葉選び」
不寛容といえば、こんなことがあった。産経ネット版によると、自民党の高市早苗前総務相の党総裁選への出馬表明記者会見で(8日)、会場にいた報道関係者が学校法人「森友学園」をめぐって「再調査するのか」「話さないのか」と怒鳴り声を上げ、揚げ句に果てに「安倍晋三前首相への忖度か」「安倍氏の傀儡ではないか」と怒鳴り続けたので、別の報道関係者が「やめろよ」と制止に入ったという。
もしや反安倍の東京の望月衣塑子記者? ふとそう思ったが、この人はこんな露骨に怒鳴り声を上げたりしない。質問と称して持論ばかりを唱え、総理や官邸の貴重な時間を盗んで悦に入っている「泥棒記者」(そう筆者は名付けている)ではあるが。
この一件は紙面では伝えられていないが、ネットを見ると怒号の主は「横田一」というフリー記者とある。小池百合子都知事やバッハ国際オリンピック委員会(IOC)会長にもヤジに飛ばした有名な“怒号男”なのだそうだ。もっとも安倍政権時代の朝日紙面には同じ言葉が(むろん活字だが)、飛び交っていた。これを声に出せば、立派な怒号男となる。「言葉選びがシビアに問われる」のは政治家よりも朝日の方だろう。
◆尋常でない立民支援
さて、前記の岡田氏のインタビューは「選挙を考える」と題されていた。自民党総裁選から総選挙へと続く「政治の秋」に突入したので、朝日はリベラル派の応援に拍車を掛けたいのだろう。
とりわけ立憲民主党への肩入れは尋常ではない。枝野幸男代表が7日、次期衆院選に掲げる公約の第1弾を発表した。これを朝日は8日付1面トップ、2面にも「頼みは共闘強化」と続けた。同じリベラル系の毎日は5面で2段見出しとつれない。読売は4面で高市氏の総裁選出馬の後塵を拝してサブ扱いだ。産経に至っては探すのに苦労した(5面2段見出し)。それほど公約はつまらなかったわけだが、朝日は別格扱いだ。
朝日記事には「頼みの綱は共産党との『野党共闘』の強化だ」と社の本音が漏れる。与党には怒号、野党には甘言。不寛容も相手次第。岡田氏が言う「リベラル派が陥る独善」を朝日は地でいっている。
(増 記代司)