集団的自衛権解釈変更問題を石破・前原両氏で聞かせた「時事放談」
◆「立憲国」批判に一石
どこの国でも当たり前の一言で済む話が日本では複雑な物議を醸す。憲法9条と自衛権をめぐる問題は戦後政治の主要な争点となってきた。政府は自衛権を個別的、集団的、さらに両権利の行使と四つの概念に分解し、このうち集団的自衛権の行使は認めない憲法解釈をしている。
安倍政権がこれを見直すことから、TBS2月23日放送の「時事放談」は「集団的自衛権の問題が熱戦になりそうだ」と、自民党の石破茂幹事長と民主党の前原誠司元代表を招いたが、防衛通だけに聞かせる内容だった。
ちなみに前週の同番組は野中広務、古賀誠の両元自民党幹事長を招き、安倍晋三首相が「最高の責任者は私だ。政府答弁に私が責任を持って、その上で私たちは選挙で国民の審判を受ける。審判を受けるのは内閣法制局長官ではない。私だ」と国会答弁したことへの「立憲国」批判を引き出していた。
司会の御厨貴氏は前原氏にもこの首相答弁について尋ねたが、「多数を得た政党が内閣を構成して、憲法解釈の変更であれ重要な決定を行う場合は法制局長官は一行政マンだから、その人に最終責任をとらせるのはおかしい」との返答だった。
前原氏は最終責任は首相、実際には閣議決定する内閣にあるとの見解で、安倍首相に考えが近かった。前週の放送では小選挙区制批判と中選挙区制支持の一幕もあったが、野中・古賀両氏が初当選した衆院中選挙区の80年代、自民党政権は派閥政治に忙しく、法の番人の法制局が半ば法の主人と化したと言えよう。
ただ、国会が適切な憲法改正を行う本来の立法府、国権の最高機関として機能していたなら、憲法解釈変更と法制局長官をめぐる首相答弁も「立憲国」批判もなかったはず。長らく憲法改正論議にストップをかけ、時代の変化に応じて憲法を改正しない国会も「立憲国」論議の責めを負うべきだ。現実に応じなければならない政府の苦心の対処が憲法解釈だ。
◆慎重を期した石破氏
石破氏は、国連憲章の集団的自衛権の位置付け、および憲法との関係、同自衛権の行使を認めることによる我が国の抑止力について「感情的議論ではなく事実を把握した上で答えを出していく」との姿勢を述べた。そう指摘しなければならないほど憲法問題は与野党対立から感情的議論に流れやすい。政権批判は野党の常だが、民主党にも安倍首相の「暴走」批判がある。
その中にあって前原氏は「憲法や法律を守った結果として国民の生命、財産あるいは主権を守れないということではいけない」と述べ、艦船護衛、機雷掃海など個別事例から集団的自衛権解釈の変更、個別的自衛権の拡大解釈、周辺事態法など一般法の改正など検討を加えるとの考えを示していた。
また、石破氏は「間違えてはいけないのは、行使ができると我々は言っているのであって、行使するとは言っていない。行使するかしないかは自民党の考えでは国会に出して事前に承認を受けようということだ」と訴えた。熱戦の「解釈変更」といっても「権利は行使できる」との確認で、他国では空論に近い。
両氏の見解では、集団的自衛権の行使を容認するなら憲法解釈変更の閣議決定を行い、行使の程度は自衛隊法改正など関連法改正をめぐる国会審議に委ねられる。公明党との調整について石破氏は「精緻に誠実にきちんとやる」と慎重を期して歩み寄りを図る構えで、集団的自衛権行使は現実に行われたとしても極めて抑制されよう。
◆尖閣有事はお門違い
これが、同日同局で後に放送されたサンデーモーニングになると靖国関連の批判的なニュースの扱いの中で、集団的自衛権行使容認について中国との対峙で捉えていた。スタジオ出演した評論家の寺島実郎氏は、「前のめりになる愚かさを我々が気がつかないといけない」と批判を加えた。
が、実際は「前のめり」どころか遅い進展だ。集団的自衛権行使容認に向けた研究は先の第1次安倍内閣で着手され、自衛隊のPKO、インド洋、イラク復興等の派遣からスタートしたものだ。自衛隊を護衛する外国軍が攻撃されたら助けるのは違憲か、などの議論だった。万一のことがあっても領内の尖閣は治安措置や個別的自衛権で対処するのが筋だ。これを同番組が集団的自衛権を尖閣で中国を相手取った紛争を想定したように言うのは領土・歴史問題の絡みで余計に感情論を煽(あお)ってしまうだろう。
(窪田伸雄)