教育委員会制度見直しを批判する朝日が触れぬ左翼教組の政治介入

◆朝、毎、東の戦前合唱

 自民党が教育委員会制度の見直し案をまとめ、公明党と詰めの協議を進めている。まだ紆余(うよ)曲折がありそうだが、「形骸化していた教委制度の抜本改革」(下村博文文科相)へ動きだした。見直し案は教育委員長と教育長を統合して新「教育長」を置くなど首長の関与を拡大する。

 これに対して朝日と毎日、東京が社説で異議を唱えている。朝日は「政治介入に歯止めを」(20日付)、毎日は「教育の不安定招く懸念」(同)とし、東京は「『不当な支配』招かぬか」(24日付)と、いずれも「政治介入」「不当な支配」といった表現で反対する。

 だが、3紙の論調には違和感が禁じ得ない。例えば、東京はこう言う。

 「戦後の占領期に導入された教委制度は、中央集権体制で推し進められた戦前の軍国主義教育への反省に立っている。地方を教育の担い手とし、政治を遠ざけ、地域住民の声を大切にする仕組みだ。改革案はそれを根底からひっくり返すものだ。時代に逆行しており、危うい」

 毎日も「戦前の一律的な統制を改め、教育の地方分権と政治的中立性を柱としてきた戦後の教育委員会制度が、大きく変えられようとしている」とする。こんなふうに、何でもかんでも戦前と結び付け、安倍政権が進めることは「時代に逆行しており、危うい」とする。特定秘密保護法や集団的自衛権行使問題でも同じ表現が飛び交った。まさにワンパターン論評だ。

◆教組の「不当な支配」

 おまけに間違いだらけだ。例えば「戦後の占領期に導入された教委制度」とか「戦後の教育委員会制度」と書くが、占領当時の目玉だった教育委員公選制はすでに廃止されており、戦前と戦後の単純な対比はおかしい。

 公選制はGHQ(連合国軍総司令部)が持ち込んだが、首長側とその政敵や教職員組合が組織動員する、それこそ「政治介入」「不当な支配」を招き、住民の関心も低く百害あって一利なしだった。それで主権回復後の昭和31年に現行の任命制に改められた。

 東京は「(戦後教育は)地方を教育の担い手とし、政治を遠ざけ、地域住民の声を大切にする仕組み」というが、地方は首長と議会の二元的代表制を採り、地域住民の声はそこに反映され、政治が営まれている。「政治を遠ざけ」るとするのは意味不明だ。

 いま問題なのは「GHQ教育制度」の残滓(ざんし)で、その最たるものが教委だ。つまり、教育行政は教育委員会が仕切るレイマン・コントロール(素人による支配)とされ、「治外法権」化されてきた。だが、委員は非常勤で、責任の所在が不明確だ。大津市のいじめ事件のように対応も遅く、誰も責任を取ろうとしない。

 実質的には教育長がトップの教育委員会事務局が牛耳っているが、事務局職員は教員からの出向者で占められ、彼らは教組の意向を受けて動き、身内をかばう閉鎖性に陥りがちだ。それで表向きは「教育の中立性」でも、裏では左翼教組が学校の「不当な支配」を続けてきた。

 例えば、教委は教組とさまざまな「協定」を結んで“協力体制”をつくる悪しき伝統も存在した。大分県では、教職員人事や各種通知の内容、研究指定校の選定などの「事前協議」を行い、教員採用汚職事件(2008年)も発生した。

 こういう癒着によって左翼教組が強い地域では子供たちの学力も落ちた。教委も教組も組織を守ろうと、全国学力テストの結果公表にも消極的だ。こんな教育の危機に3紙は故意か知らずか(知らないわけはないが)沈黙する。

◆時代逆行の朝、毎、東

 驚くべきことに朝日社説は「教育の場に、政治を極力もちこむべきではない」と、あべこべのことを言っている。教育現場に政治を持ち込んだのは左翼教組とそれに服従してきた教委だ。これを政治の力で正さなければ、誰が正すと言うのか。

 本来、教育は国が責任を持っており、教育基本法や学習指導要領に基づいて「国の教育権」をしっかり行使すべきだ。安倍政権の教育改革の狙いは、学力向上と公徳心の醸成にある。そのための制度改革だ。これを国民は支持している。だから総選挙でも参院選でも自民党は圧勝した。

 「時代に逆行しており、危うい」のは朝日、毎日、東京と言うほかない。

(増 記代司)