五輪開催を対立争点化させ国民世論を分断した朝日のマッチポンプ

◆陰鬱な顔で開幕報道

 東京五輪の熱戦にハラハラドキドキ、そして大歓声(むろんリモート)の日々が続く。開会式を伝える読売と一部地方紙の24日付1面は最終面との見開きページとし、ワイドなカラーフォトを使って感動を切り取っていた。読売は作家の浅田次郎さんの「無観客 悲劇ではない」の特別寄稿、産経は別府育郎・特別記者の「令和の東京五輪に幸あれ」が期待感を綴(つづ)っている。

 復興五輪とあって被災地、福島の県紙は連日、五輪モノが1面トップだ。競技の幕を地元で切った女子ソフトは言うまでもなく、柔道男子60キロ級の高藤直寿選手の金メダル獲得を福島民報は題字横に「金」の太文字を金色のカラーで飾った(25日付)。他の地方紙も地元出身選手と事前合宿した海外選手たちの応援記事を載せ、盛り上がっている。「開催できて本当に良かった」と改めて思う。

 「ところが、せっかくの五輪にけちをつけずにいられない人たちがいる」と、産経抄(24日付)は言う。

 「23日付の朝刊1面トップ記事は、小紙や読売新聞が『五輪きょう開幕』だったのに対し、朝日新聞は五輪開閉会式のディレクター解任の記事である。2面も3面もほぼ全面が、五輪開催をめぐる混乱と迷走の特集だった」

 さらに社説の「分断と不信、漂流する祭典」は異様に思えるとし、「いかに朝日が五輪中止を訴えてきたといって、こうまで陰鬱な顔をしなくてもいいのではないか」と皮肉っている。その続きを産経抄風に書くと、こうなる。

 朝日24日付1面は高揚感もなく「東京五輪、コロナ下の開幕」、肩にベタ白抜きで「熱戦の隣 鳴りやまぬ救急電話 横浜の五輪指定病院では」と、わざわざコロナ記事をぶつけ、2面には「迷走8年、五輪突入 デザイン撤回/招致疑惑/会長辞任/演出者解任」と不祥事を並べ立て、3面は「第5波、渦中の開幕 病床使用率、徐々に上昇」と不安を煽る。五輪面は読売と毎日が6ページ、産経が4ページだが、朝日はわずか2ページ。

 おまけに25日付1面は高藤選手の金を差し置いて(写真もない)「王者内村、挑戦に幕」と体操の内村航平選手の予選落ちをトップに据えている。陰鬱(いんうつ)な顔が引きつっているかのようだ。

◆政権批判に明け暮れ

 さて、その朝日に度が過ぎたマッチポンプの論評記事が載っていた。編集委員の曽我豪氏(元政治部長)の「日曜に想う」である(18日付)。「予見と事後説明、そして勇気」と題し、コロナ対策は「不備な点を改め知恵を出し合うのが、政治の本来の仕事」とし、「五輪開催の可否も、コロナ禍対策と大会の見直しを追求し、国民が納得のゆく手順と時期を選んで判断するほかなかったろう」とし、こう書いている。

 「それなのに、あたかも政権擁護と政権批判とで相いれぬ対立争点と化してしまい、国民世論も賛否で分断された」

 おいおい、これが朝日の言うセリフか、と思わず混ぜ返したくなる。コロナ対策でいえば、昨年3月にようやく「緊急事態宣言」を発令できる改正新型インフルエンザ対策特措法が成立したが、朝日は「懸念の解消なお遠い」(同12日付社説)と、「市民の権利を制限」すると言い立て、反安倍の政権批判に明け暮れた。

 五輪では共産党が早々と「首相の責任で中止を決断せよ」(機関紙「赤旗」今年5月13日付)と政権批判に利用すると、朝日は赤旗そっくりに「中止の決断を首相に求める」(同26日付社説)と続き、菅批判キャンペーンを展開した。五輪開催を対立争点と化し、国民世論を分断したのは朝日に他ならない。

◆五輪の熱戦とは無縁

 それなのに曽我氏はしゃあしゃあと「与野党はなぜ、こうまで非難し合わなければならなかったのだろう?」と惚(ぼ)けている。それが「予見と事後説明、そして勇気」とは支離滅裂、言葉を並べただけの絵空事だ。リアルな五輪の熱戦とは無縁の朝日である。

(増 記代司)