人生の総決算の準備や終活をテーマに各誌特色の出たGW特集記事
◆「相続」の3点セット
超高齢化社会が進行し、週刊誌も人生の終わり方、いわゆる「終活」情報を外せなくなっている。各誌とも力を入れるゴールデンウイークの合併号で、看板扱いの特集記事が出ている。
週刊現代は「財産・介護・人間関係・葬儀・片付け『人生の総決算』を準備する」のタイトルで「(人生の)決算が黒になるか赤になるか、すべてはあなたの準備次第」とする。その準備の核は財産の扱い。「預金、不動産といった財産を、つれあいや子どもに渡してあげたい。そう思う人なら、財産を確実に受け取ってもらえるよう準備をしたい」として、「財産目録の準備」「遺言書の作成」、銀行の口座凍結を解除するため「遺産分割協議書を用意」を強調し、実務を事細かに教示している。
現代はこれまでも繰り返し終活特集を組んでいるが、相続に関するトラブル・事件の解消・対処はこの3点で決まり、ということだろう。
片や週刊新潮では「仏教思想家が金言 『終活』なんておやめなさい」と題し、仏教思想家・ひろさちやさんが長文を寄せている。その中で「どうせ『終活』で遺言書の類を作っても、のちのち遺族同士で、“お前が死んだ父さんに無理やり書かせたんだろう”などと、かえって揉める原因になる」「相続や葬式は遺族の問題ですから、自分がしゃしゃり出てはいけない。何も考えず安心して死にましょうというのが、私の考えです」と“他力”をこんこんと説く。
「釈迦は『死後について一切考えるな』(中略)『死んだら浄土に行くから心配しなくていい』と教え」ているというのがその主張の根拠。ひろさんの説法の内容を追認するように、『自分らしい逝き方』の著者・二村祐輔さんは「自分の死生観を見つめ直して欲しい」とコメント。無常の哲学を前面に出しあるべき終活の姿を示している。
◆疎遠な家族関係が仇
週刊文春は「『在宅ひとり死』実践者に学ぶ」と題し、独居者に対するわが国の福祉の充実ぶりを語る。
「昔は独居の看取りは難しかったので入院を勧めていましたが、二〇〇〇年に介護保険制度ができて変わった。居宅介護支援サービスも始まり、ケアチームが組めるようになって、独居の看取りができるようになりました」(小笠原文雄・日本在宅ホスピス協会会長)など。むしろ「問題は、家族や親族と疎遠になっている場合」(編集部)。亡くなった時に「死亡診断書」が取りにくいなど家族、親族の役割を考えさせられる。
文春の連載「阿川佐和子のこの人に会いたい」は、今年1月、90歳で亡くなった作家・半藤一利さんの妻・末利子さんへのインタビュー記事。直接、終活と関係ないが印象的。夫が亡くなるまでの約1年半の壮絶な看病を振り返り、「彼は死ぬ時期を選んでくれた気もする」「あれ以上長引いたらこちらが倒れてしまったか、死んでしまったかもしれない」と。終わりの日まで、夫婦の呼吸が合っていた。
◆深刻な老老介護の今
週刊ポストは「失敗した親子の実録エピソードに学ぶ 人生の最後で子に疎まれた人たち」と題し、終活そのものではないが、最後まである親子の確執について。その中で「『1年くらい』と思っていたら、『10年以上』の介護地獄に!」がすさまじい。
介護・被介護者とも高齢の老老介護をめぐる問題。神奈川県在住72歳の男性は13年前に妻の母を自宅近くの賃貸ワンルームマンションに呼び寄せた。が、10年前に妻が脳卒中で急逝。以来、男性が面倒を見続けるが、「自分の体がいつまでもつかが心配」。都内の48歳男性は、父親が他界し60代の母親と同居、家事や子供の世話を期待した。しかし同居が長引くにつれ、家族間が険悪ムードに。「親の面倒を見るなら、『想定以上の長生き』を覚悟しておく必要がある」がポストの結論だ。
現代とポストは親子関係のこじれによる、これでもか、という実録記事、新潮はどこか斜に構えた死生論、文春は「独居」の意外な側面。各誌とも強調点になんとなくカラーが出ているようで興味深い。
(片上晴彦)